寄せ集めの鎧兜ですが部品取りに骨董品宅配買取でお譲り頂きました。
売却済
写真4枚掲載、クリックしてご覧下さい。
品番:X-1589
価格:売却済
このお猪口は明治時代の九谷焼を代表するような 陶磁器 で、外国のお客様に好まれる 逸品 です。
外側は簡単な唐草模様で、京都の永楽が指導に行った頃の名残の九谷焼だと思われます。
割れや傷も無く、保存状態 も良く、最近では中国茶にも大きさや色合いから好まれているようです。
カラフルな色合いで、日本の若者の間でも人気で、この頃の九谷焼は世界の人々に人気があります。
採光の加減で白く光っておりますが、欠けやひび割れ等無く、保存状態 の良い品物です。
お店で販売している安価な品物で、ホームページ上では販売しておりませんが紹介させて頂きます。
店頭では二千円から一万円までの楽しいアンティークの品物を沢山販売しておりますので、是非ご来店くださいませ。
少し九谷焼について説明させて頂きます。
現在「古九谷」と呼ばれている九谷焼は、伊万里で焼かれた焼き物と言われています。
その後、江戸時代後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも春日山焼や若杉焼が作られ始めました。
九谷焼は、明暦元年(1655)に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりです。
しかし、わずか100年たらずで廃窯。原因はいまだ定かではありませんが、この間に焼かれたものを、現在「古九谷」と呼んでいます。
廃窯後100年は、日本の陶器といえば 伊万里焼 でした。ところが、江戸後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも、春日山焼や若杉焼が作られ始めました。
さらに、その若杉焼が成功したことで、大聖寺藩でも九谷焼再興が始まり、通称大聖寺の九谷焼が始まりました。
明治時代に入って九谷庄三の彩色金襴手が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。
現在でも彩色 金襴手 や九谷焼独自の焼き物は外国のお客様に人気です。
老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。