販売商品 product

品番:D-217

価格:¥350,000-

合作 白磁 香炉 販売

香炉 横幅約 11.2cm 奥行約 7.4cm 高さ約 7cm
火屋 横幅約 7.2cm 縦幅約 6.1cm 高さ約 1.9cm 重さ約 67g

100年ほど前に作られた当時の 職人技 を競うそれぞれ三名の専門分野の合作の 珍品 です。
それぞれの作家は、三代 三浦竹泉陶芸 作家)と三代 秦蔵六(金工作家)、南画家 上田丹崖(画家)の合作で、箱書きにより、昭和7年に作られた作品です。
白磁の香炉は三代 三浦竹泉作で、描かれている 図柄 は蝙蝠と霊芝で上田丹崖が描いており、純銀の火屋は三代 秦蔵六が作っており、それぞれの署名・捺印の箱書きが付いております。
重量感 があり、さすがと思わせる丁寧で 細密金工細工 が施された純銀の火屋で、秦蔵六の が入っております。
一見、質素な 逸品 ですが、詳しく見ると、当時の名工の職人技が見られる名品です。
採光の加減で白く光っておりますが、共箱 に入っており、傷んでいるところもなく非常に状態の良い品物です。

昔の 職人技 が素晴らしい 茶道具骨董品 は、高価買取させて頂きます。

三代 三浦竹泉 1900(明治33)年~1990(平成2)年
初代竹泉の末子で、大正10年襲名。名を三郎、 を篩月庵とする。
昭和6年に四代に 家督 を譲って以後も「竹軒」と号し製作を続ける。

三代 秦蔵六 1882年(明治15)〜1934(昭和9)52歳没。
二世蔵六の三男で、二世蔵六に 師事
江戸時代末期から続く 鋳金 家で、蝋型鋳物 を得意とする、青銅器 の創作で名高い 金工師

上田丹崖
南画 家。文久3年(1863)熊本生。名は甕、字は子抱、別号は無機道者。京都住。
梶山九江の門。特に芦雁に長じる。昭和11年(1936)存、没年未詳。

  • 10

  • 11

  • 12

  • 13

  • 14

  • 15

  • 16

  • 17

  • 18

  • 19

  • 20

  • 21

  • 22

  • 23

  • 24

  • 25

  • 26

  • 27

  • 28

  • 29

  • 30

  • 31

  • 32

買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

数種類の伊万里焼の骨董品宅配買取を頂き、このようなお皿もお譲り頂きました。

写真が7枚あります。くわしくはこちら 江戸時代末期頃に作られた伊万里焼です。写真をご覧のように、面白い 図柄 が、細かく丁寧に描かれており、非常に美しい 赤絵 の皿で買取しました。すべて手描きで、赤絵付けが素晴らしく、可愛らしいお皿です。さすが昔の 職人技 と思わせる 逸品 で買取ました。採光の加減で白く光っておりますが、傷やヒビ、割れ等は無く、ご覧のように状態の良い品物です。価格は1枚の値段ですが、在庫は5枚あります。この作品は、競り市やオークションで買い受けた作品ではありません。直接お客様より入荷した、うぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの 骨董品 で、現状のまま販売しております。 伊万里焼について説明します。 伊万里焼は、九州北西の佐賀県有田町周辺で17世紀から作られている磁器の総称で、日本最古の産地でもあります。16世紀末の朝鮮出兵時、朝鮮人陶工を伴い帰国した、李参平が磁器原料の磁石を発見し、日本で作陶を行うこととなり、17世紀初頭が 伊万里焼 のはじまりとされています。朝鮮人陶工の下に、日本人陶工も磁器に関わる高度な技術を習得して、さらに中国 景徳鎮 磁器の技術習得が図られ、色絵 技法 も習得しました。磁器は中国が発祥の地ですが、戦乱と王朝交代で中国磁器の輸入が途絶え、代わりに有田が磁器生産を増やし、国内の磁器市場を築いた。当初の朝鮮式の技術から中国式の技術への転換が起こり、技法が刷新されて、色絵 の技法が中国人陶工より伝えられ、現在の伊万里焼の磁器の基となっております。