販売商品 product

品番:X-2561

価格:売却済

川端近左 大棗

直径約 7.1cm 高さ約 7cm

材質は木製で、時代は昭和時代の作品です。
作者は川端近左です。
裏千家 家元 鵬雲斎宗匠の 書付 が付いており、「玉絵 大棗」と が付けられています。
さすが川端近左と思わせる 繊細 で優雅な蒔絵で、非常に出来の良い 逸品 です。

川端近左は 愛好家 なら誰でも知っている漆芸の名工で、昔の 職人技 が素晴らしく、丁寧に作られた です。
共箱で、共布が付いており、共箱は二重箱で貴重な逸品です。
採光の加減で白く光っておりますが、傷んでいる箇所は無く、未使用品です。

今回、先代が 裏千家 にお勤めされていたお客様よりお譲り頂いた、未使用品の作品ばかり10点紹介させて頂いております。
愛好家 の皆様に喜んで頂きたいとお譲り頂き、販売価格を安く設定しております。

川端近左は、江戸時代から二百年以上続く漆工芸の名跡で、漆芸界の 重鎮 です。
初代近左は、滋賀県の出身で、名を佐兵衛、 を近左といいます。

初代 近左 1818年(文政元)〜1896年(明治22)
本名は佐兵衛、号は近左。
油商を営む傍ら俳諧・日本画 などを嗜む。
趣味で始めた漆芸・蒔絵 を家業にする。

二代 近左 1823年(文政6)〜1902年(明治34)
本名は佐七。
初代の長男、玉章が家業を継がなかったため、弟の佐七が二代を 襲名 した。
元治元年の蛤御門の変で火災に遭い、慶応3年に大阪に移住した。

三代 近左 1853年(嘉永6)〜1912年(明治45)
初代の三男、本名は蟻洞。
二代に後継がいなかったため、兄玉章の後援を受けて、明治34年に三代を襲名した。
十数年の短い期間だったが優れた作品を数多く残している。

四代 近左 1891年(明治24)〜1975年(昭和50)
本名は対三郎。三代の兄、対吉の三男。
初代長男の玉章が二代の 弟子、河合漆仙と相談の上、対三郎が12歳の時に三代との養子縁組を決め、三代に 師事 した。

五代 近左 1915年(大正4)〜1999年(平成11)
本名は三義、奈良県に生まれる。
昭和3年、12歳で四代近左に 入門 した。
昭和56年に大阪府知事功労賞を受賞

六代 近左 1947年(昭和22)〜
本名は一价。
五代の長男として大阪府に生まれた。

次代 近左 1978年(昭和53)〜
本名は宏房。
六代の長男として、大阪に生まれた。

  • 10

  • 11

  • 12

  • 13

  • 14

  • 15

  • 16

  • 17

  • 18

  • 19

  • 20

  • 21

  • 22

買取実績 PURCHASE RECORD

老舗骨董店の当店ならでは1000点以上の買取実績を写真入りでご覧ください。

中国美術の昔の玉で出来た湯冷ましを茶道具出張買取依頼を頂き、お譲り頂きました。

写真が13枚あります。くわしくはこちら 中国 骨董品 の湯冷ましで、時代は清朝時代の作品だと思われます。可愛いモチーフで、丁寧に彫られた昔の 職人技 が光る湯冷ましで、色味 も素晴らしい 逸品 で買取ました。採光の加減で白く光っておりますが、ご覧のように 保存状態 の良い品物で、傷んでいるところはありません。ご覧のように細部まで丁寧に作られており、非常に出来の良い作品で高価買取させて頂きました。この作品は、競り市やオークションで買い受けた作品ではありません。直接お客様より入荷した、うぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの作品で、現状のまま販売しております。 湯冷ましについて少し説明します。 お茶に使用する湯を冷ますための茶器で、湯の温度を効率良く下げるため底より口の方が大きく作られています。日本独特のお茶である玉露は60℃前後が適温ですが、ティーポットややかんで沸かしたてのお湯は熱いので、美味しくお茶を頂くのに方法として湯冷ましが作られました。湯冷ましは日本独特のお茶の玉露を最高の状態で美味しく飲む道具として作られ、日本が考えた独自の茶道具です。