茶道具売却依頼で九谷焼の煎茶セットや諸道具を静岡県浜松市より宅配でお譲り頂きました。
売却例の説明
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「コロナ禍で自宅にいることが多く、この際、整理しようと思い、二階の物置に長年放置されたいろいろな品物を頑張って整理していましたが、品物も 骨董品 かいらない物かも分からず、体も疲れて、」と当店にお電話を頂きました。このご主人も高齢のように思われ、やはり道具の整理は体力がいります。静岡県浜松市のお客様ですが、骨董は京都が一番だと思われ当店に写真を頑張って沢山撮って頂き、LINEで拝見し、買取価格を決定して、数点の 茶道具 や骨董品を買取させて頂きました。
この九谷焼は明治時代から昭和初期の作品で、割れたり欠けたりはしていなくて、保存状態 の良い 逸品 です。このような煎茶道具は、中国の人々にも人気があり、中国茶にもよく使われています。この 九谷焼 は再興九谷で、このような再興九谷の 陶磁器 は明治時代に入ってからは、大量に海外へ輸出され、現在でも外国のお客様に人気があります。今日の九谷焼は、各時代の 窯 の 上絵付 けの作風を源流に、以前にも増して活発な生産が続けられています。
この 陶磁器 は再興九谷の陶磁器なので、再興九谷の説明をさせて頂きます。九谷焼は、明暦元年(1655)に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりと言われており、わずか100年たらずで廃窯となり、この間に焼かれたものを、現在「古九谷」と呼んでいます。と言われておりましたが、現在では古九谷焼は伊万里で焼かれた伊万里焼の説が有力の様です。
この九谷焼は再興九谷の時代の流れを組む九谷焼で、加賀藩営で金沢に春日山窯が開かれ、再興九谷の時代に入りました。再興九谷とは、春日山窯の木米風、古九谷の再興を目指した吉田屋窯、赤絵細描画の宮本屋窯、金襴手 の永楽窯など数多くの窯が出現し、それぞれに素晴らしい 画風 を作り出してきました。明治時代に入ってからは、斎田 道開、九谷 庄三らの活躍もあって、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。今日の九谷焼は、各時代の窯の上絵付けの作風を源流に、以前にも増して活発な生産が続けられています。