骨董品売却依頼で、お隣の県ですが近江八幡市まで出張して、高麗青磁をお譲り頂きました。
売却例の説明
写真が16枚あります。くわしくはこちら
横幅約 8cm 高さ約 5.2cm
元々先代が当店のお客様で、その子供さんからの依頼で出張買取に伺いました。この先代のお客様は、当店でもお買い求め頂いており、地元では有名な コレクター でいろいろな品物を持っておられます。地方でも 古陶器 の 数寄者 として名前が知られております。今回はその一部を子供さんから買取させて頂きました。さすが滋賀県の近江商人の豪商のお宅で、沢山の 諸道具 を拝見させて頂き、その中から古陶器の 逸品 を数点お譲り頂きました。中国陶磁や日本の 陶器 の瀬戸焼や常滑焼の作品もお譲り頂きましたが、先に 李朝 の逸品を紹介させて頂きます。韓国の 陶磁器 で、時代は高麗時代前期頃だと思われます。李朝独特の素朴な 図柄 が白と黒の象嵌で施されております。堂々とした李朝陶磁器の油 壺 で、時代の風格が漂う 逸品 です。このような 古い時代 の李朝陶磁器は発掘品が多く、写真 7~9 ように、口の周りに直しがあります。
常滑焼で陶器の 工芸品 の話がでてきましたので、常滑焼について説明させて頂きます。平安時代末期(12世紀)には、常滑を中心にして知多半島の丘陵地のほぼ全部の地域に穴窯が築かれ、海路で日本各地に運ばれており、この頃の作品が古常滑と呼ばれています。時代とともに、「窯」は常滑地区に集まってきて、生産品も大型のものがほとんどを占めました。江戸時代の終わりには、連房式登窯が現れ土管・甕も作られ、この頃作れらた 朱泥 の茶器は重宝されました。常滑焼は釉薬を用いない焼き締めと言われる方法で、大型のもの生産をしていました。明治時代になって、それまでの山の斜面に築かれていた 窯 が平地に築かれるようになり 陶器 にも 釉薬 を掛けたものが多くなり、食塩釉も出現し、土管・焼酎瓶・煉瓦・タイルも作られるようになりました。
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