青森県十和田市のお客様ですが茶道具売却依頼を頂き、宅配で煎茶道具や抹茶道具、また日本の古陶器をお譲り頂きました。
売却例の説明
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先に品物を紹介させて頂きます。この吉向焼は昭和の時代に作られた作品ですが、吉向焼の歴史は古く、江戸時代にさかのぼり、明治時代には 茶の湯 で人気の 茶道具 を沢山作られております。吉向焼は日本独自 の 伝承 された 技法 で、茶の湯では人気の 伝統工芸品 です。大切に使用されてきた 逸品 で、上り も良く、貫入 も無く、保存状態 も良く綺麗な鉢で、買取させて頂きました。骨董品 のなかでも日常使いの作品で、使いやすく一般の通常の食卓でも気軽に使えて、お求めやすいしなものです。綺麗な共箱に入っており、殆ど使用されず、大切に仕舞われていた 逸品 で、このような品物はよく買取させて頂きますが、人気のある茶道具です。この作品はお店で販売しているお求めやすい品物で、ホームページ上では販売しておりませんが紹介させて頂きます。店頭では二千円から一万円までの楽しいアンティークの品物を沢山販売しておりますので、是非ご来店くださいませ。
吉向焼( きっこうやき )について少し説明させて頂きます。初代吉向治兵衛は通称亀次、伊予国大洲(愛媛県大洲市)の生まれで、父帯屋武兵衛は 砥部焼 の陶工でした。1764年ころ(明和)に京都に出て陶法を修め、のち大阪の十三に開窯しました。技巧 や意匠にすぐれた、近世屈指の名工と言われています。初め治兵衛は、自らの通称の「亀次」をもじり、自分の作品を「亀甲焼」と呼んでいました。やがて1819年に大阪城の城代、水野忠邦に推薦され鶴と亀の 食籠 などを献上したところ、その作品が気に入られ、「吉に向かう」という意味の 窯 号「吉向」を授かりました。それ以降「吉向焼」の名が用いられるようになりました。治兵衛の作品は多くの大名の間で特に人気を博し、故郷である紀州大洲藩の御庭焼の指導や、現在の山口県にあたる岩国藩では作陶を行い個人の 窯 も開いています。その後も、江戸屋敷や長野の須坂藩などで作品を作り続けました。治兵衛が京都で学んだ 楽焼 の流れをくみながらも、作品には 染付 や 交趾 風のものも見られ、「吉向」「十三軒」「連珠」「出藍」などの 銘 がみられます。初代治兵衛の江戸での養子が、江戸吉向となり、大阪吉向は亀治によって継がれ、その後、五代目になって、松月軒吉向と十三軒吉向の二家に分かれました。現在の、東大阪市日下町の十三軒と、枚方市の松月軒とがそれです。また、江戸吉向は、明治に入って廃窯しました。
このお客様は、お子さまがこちらの大学に通われている関係でついでに京都観光をされておられ、当店にもお立ち寄り頂きました。ゆっくりお店をご覧いただき、いろいろ説明を聞かれ、納得されたご様子で、お帰り頂きました。数日後に青森県の奥入瀬渓流近くのご自宅よりお電話を頂き、今回の売却依頼になり驚きました。