骨董品売却依頼で千葉県千葉市のお客様で、お爺さんが集められた九谷焼の古陶器を宅配でお譲り頂きました。
売却例の説明
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先に品物を紹介させて頂きます。明治時代頃に作られた 九谷焼 の徳利です。九谷焼の最大の魅力は「上 絵付 け」で、このような九谷焼の 色絵 の酒器やお皿等の食器は、絵画のように 図柄 が綺麗で丁寧に描かれており、特に外国のお客様に人気があります。箱はありませんが、ひび割れや欠け等なく、保存状態 の良い 逸品 です。この作品はお店で販売しているお求めやすい品物で、ホームページ上では販売しておりませんが紹介させて頂きます。店頭では二千円から一万円までの楽しいアンティークの品物を沢山販売しておりますので、是非ご来店くださいませ。
九谷焼の徳利なので、古九谷の事を少し説明させて頂きます。現在「古九谷」と呼ばれている九谷焼は、伊万里で焼かれ焼き物と言われています。その後、江戸後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも、春日山焼や若杉焼が作られ始めました。九谷焼は、明暦元年(1655)に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりです。しかし、わずか100年たらずで廃窯。原因はいまだ定かではありませんが、この間に焼かれたものを、現在「古九谷」と呼んでいます。廃窯後100年は、日本の陶器といえば伊万里焼でした。ところが、江戸後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも、春日山焼や若杉焼が作られ始めました。さらに、その若杉焼が成功したことで、大聖寺藩でも九谷焼再興が始まり、通称大聖寺の九谷焼が始りました。明治時代に入って九谷庄三の彩色 金襴手 が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。現在でも彩色金襴手や九谷焼独自の焼き物は外国のお客様に人気です。
このお客様のご事情は、お爺さんが趣味で集めておられた 古陶器 が残っており、千葉県千葉市の千葉市花の美術館の横にお住まいのようですが、骨董品店も近くに無く、骨董品 や 茶道具 の古陶器を販売している古美術やかたのホームページを見て査定を依頼されて来られたようです。お爺さんは九谷焼や 伊万里焼 の古陶器がお好きだったようで、そのような 諸道具 を10点程お引き取りさせて頂きました。古美術やかたでは、ホームページで常時二千点程の品物を販売しており、ホームページをご覧になり買取依頼を頂いたのだと思われます。同じような古陶器を例にとり、買取価格を決定してお譲り頂きました。