白隠慧鶴 買取
白隠慧鶴は有名な禅僧で、その魅力的な書画は、国内だけでなく海外でも高い評価を受けています。
墨蹟や面白い禅画など、白隠慧鶴の古書画は、高価買取対象作品ですのでお気軽にお問い合わせください。
日本一、歴史ある
京都祇園骨董街にあります。
京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。
京都祇園で小売販売している
老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。
世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、
愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。
買取依頼のお客様に納得して頂くことを
第一と考えております。
ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。
白隠慧鶴の作品ー査定・買取ポイントのアドバイス
白隠慧鶴(はくいんえかく)・特徴と技法
1685年(貞享2)~1768年(明和5)84才没。
白隠慧鶴は、江戸時代中期の禅僧です。
日本の 臨済宗 中興の祖であり、五百年間に一人とされた名僧です。
駿河(現在の静岡県沼津市)に生まれました。
幼名を岩二郎と言います。
1699年(元禄12)、15歳で出家し、諸国を行脚し修行を積み、臨済宗の禅僧となります。
1718年(享保3)34歳のとき、京都の妙心寺の第一座となり白隠と 号 しました。
その後郷里の松蔭寺に帰って布教を続け、住職になります。
衰退していた臨済宗を復興させ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで称されました。
白隠は民衆に禅をわかりやすく伝えるため、書や禅画を多数制作しました。
本格的に 書画 を手がけたのは還暦を過ぎてからで、現在残る白隠の書画のほとんどは、60歳代以降のものです。
70代にはさまざまな手法を試み、80代で完成期を迎えました。
独学 ならではの、うわべの 技巧 にとらわれない融通無碍な 境地 が発揮されています。
技巧 にとらわれない豪放でユーモラスな書画は高く評価されています。
民衆教化のために書きのこされた書画は、日本美術史の観点からも、卓越した個性を放つ魅力的な作品群です。
絵画 の常識を覆した描き方や技法は、後の曾我蕭白などに強い影響を与え、新しい 作風 を確立しました。
白隠慧鶴の余技の水墨画は専門家にない独自の 画境 を示し、国内外で高く評価されています。
達磨を描いたもの、儒教、民間信仰、歌謡など様々な要素を用いた書画があります。
なかでも達磨図は巧みな 技法 を見せており、たいへん人気があり、高価買取しております。
魅力的な水墨画や 古筆、古書画などは、国内よりも海外でいち早く評価されました。
海外にも 愛好家 や コレクター を多くもつ作家です。
白隠慧鶴の作品 作風と買取価格のワンポイント
民衆へ仏の教えを伝える手段として描かれた一見ユーモラスで軽妙、かつ大胆な書画はたいへん人気があります。
現実の肉体を超越した精神の限りない気高さを表象しており、国内外での評価も高く、高価買取対象作品です。
晩年の 名品 と言われる達磨図では、写実 性を欠いた厳しく恐ろしい顔貌表現が特徴的です。
白隠慧鶴の場合も、若年 の作品よりも、独自の境地を築いた晩年の 名品 が高価買取対象です。
偽物も多くありますが、白隠慧鶴は、おびただしい数の 禅画 や 墨蹟 を残しています。
白隠慧鶴の作品をお持ちのお客様、お気軽にご相談ください。
白隠慧鶴の作品の場合は、購入された時から入っている箱(共箱)は大切な箱です。
共箱には白隠慧鶴の自筆のサインと 落款 が押されています。
共箱 は、保証書も兼ねており、有る・無しで、買取価格は大きく変動します。
シミや汚れがある場合でも、現状のままお持ちください。
鑑定書 の有無に関わらず、まず当店で無料の 真贋 の判断やアドバイスをさせて頂きますので、お電話でご相談ください。
一般的に絵画の 鑑定 は、美術俱楽部やそれぞれの指定された 鑑定機関 で行われており、その場合、真贋を問うだけで、約3万円~5万円かかり、有料です。
【所定鑑定人・鑑定機関】
白隠慧鶴の場合、鑑定機関はありません。
当店では高額な作品も扱っております、一例ですがご覧ください。
お買取りさせて頂いた作品は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。
白隠慧鶴をはじめ買取させていただいた作家の作品も数多くあります、是非ご覧ください。
当店には白隠慧鶴の愛好家やコレクターのお客様もおられ、新しい作品の入荷をお待ちです。
白隠慧鶴の作品をお持ちのお客様は、お気軽にご相談頂ければ適切なアドバイスをさせて頂きますので、是非お問い合わせ下さい。
白隠慧鶴の買取実績と買取価格の解説
古美術やかたの店内写真
メディアにも多数ご紹介いただいております
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メディア紹介 MEDIA
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- 『Hanako WEST』4月号
- 『骨董古美術の愉しみ方』(4月16日発行)
- 『近代盆栽』9月号
- 『Hanako WEST』11月号
- 『ORANGE travel』2006年 SUMMER
- 『婦人画報』2004年9月号
- 国際交流サービス協会に2017年6月7日紹介頂きました。
- 『Grazia』6月号
- 『VISIO ビジオ・モノ』5月号
- 『Hanako WEST』4月号
- 『gli』11月号
- オレンジページムック『インテリア』No.23
- 『MORE』12月号
- 『花時間』7月号
- 『東京育ちの京都案内』麻生圭子著 文芸春秋刊
- 『私のアンティーク』
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買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技
白隠慧鶴 略歴
白隠慧鶴は、臨済禅 中興の祖で、江戸時代最高の禅僧ともいわれています。諸国を遍歴し、禅の民衆化に努めました。
厳しく指導しながら数多くの優れた 弟子 を育成するとともに、無量寺、龍澤寺を開きました。
膨大な著書と書画が残されています。著書には漢文体語録や仮名法語があり、生前に数多く刊行されました。
書画には、達磨を描いたもののほか、儒教、民間信仰、歌謡など様々な要素を用いたものが見られます。
白隠は、画家 として絵を学んだわけではないので、「へた」ですが、その絵はオリジナリティに溢れており、日本美術史において唯一無二の存在と言われています。
少しでも多くの人に仏法を広げたいという禅僧としての思いからたくさんの書画を描きました。
一見するとふざけた絵のようですが、白隠の 禅画 には禅問答が示されています。どこかにヒントは隠されているものの答えは書かれていません。
見た人に考えさせ、みずからの答えを導き出させるためで、そこには人としての本質を問うものばかりで、探れば探るほど、知れば知るほど奥深く面白く楽しむことができます。
旅籠兼運送業を営む長澤家の三男として生まれ、幼名を岩次郎といいました。幼いころより記憶力に優れ、強い意志を持った多感な少年でした。
早朝から水垢離を行ったという井戸が現在も生家跡に残っています。幼い頃、自宅に出入りしていた休心坊という念仏行者の影響を受けました。
11歳の頃、母に連れられて近くの昌原寺で説法を聞き、地獄に対する恐怖を抱いたことが出家の契機となりました。
出家後も地獄について考え、晩年には地獄と極楽は表裏一体のものであるという考えに基づき、「南無地獄大菩薩」の名号や、地獄と極楽を同じ画面に描いた「地獄極楽変相図」を残しています。また地獄に怯える11歳の頃、自宅に隣接する西念寺の天満天神にも日々参拝しました。
後年にも、「南無天満大自在天神」の文字絵や、お多福などの人物の衣に梅鉢紋を描いていることなどから、天神に対する特別な思いがあったようです。
13歳の頃、自宅から遠く離れた柳沢村に通い、観音菩薩を岩に刻み大岩の上で坐禅を組みました。
この岩は「八畳石」と呼ばれています。さらに愛鷹山には、「赤野観音堂」があり、ここには、後年揮毫した白隠筆「赤野山」の扁額が残されており、赤野観音のお告げについても法語に残しています。
長澤家は代々日蓮宗の家であり、幼少の頃から法華経に親しんでいたようです。出家後には、深く研究し、松蔭寺には、自筆 でびっしりと註釈が加えられた法華経が伝わっています。
白隠慧鶴の主な出来事や作品の年表
1685年(貞享2) 江戸時代、原宿の長澤家に第五子(三男)として生まれる。幼名は岩次郎。
1695年(元録8) 11 歳の頃、昌原寺で行われた地獄の説法を聞き恐れを抱く。
1696年(元録9) 12歳で 人形浄瑠璃芝居を見て「法華経」の威力に感嘆し、出家を志す。
1699年(元録12) 15 歳のとき松蔭寺で出家し、まもなく大聖寺で修行する。
1700年(元録13) 16歳、 感慧坊に「法華経」を借りて読むが、比喩が多いことに失望する。
1701年(元録16) 19歳、 清水の禅叢寺を訪れ、参禅修行に迷う。
1704年(宝永元) 20 歳、美濃の瑞雲寺を訪れ、修行への決意を取り戻す。
1708年(宝永5) 24 歳、信州飯山の正受庵を訪れ、厳しい指導を受けた後に認められる。
1715年(正徳5) 31 歳、美濃の岩瀧山で坐禅に打ち込む。
1716年(享保元) 32歳、 岩瀧山中で苦行を続けるが、父の病を知り、松蔭寺に帰る。
1717年(享保2) 33歳、 松蔭寺に入寺する。
1718年(享保3) 34歳、 白隠と号する。
1726年(享保11) 42歳、 法華経を読んで大悟する。
1737年(元文2) 53 歳、伊豆林際寺の招請に応じて講義し、以後各地で講義を始める。
1743年(寛保3) 59 歳、「息耕録開筵普説」が刊行される。
1746年(延享3) 62 歳、「寒山詩闡提記聞」が刊行される。
1749年(寛延2) 65 歳、「槐安国語」が刊行される。
1752年(宝暦2) 68歳、 比奈の無量寺が完成し、開山となる。
1757年(宝暦7) 73 歳、夜船閑話」が刊行される。
1758年(宝暦8) 74 歳、「荊叢毒蘂」が刊行される。
1760年(宝暦10) 76歳、 龍澤寺で開山の儀を行う。
1766年(明和3) 82 歳、壁生草」を清書する。
1768年(明和5) 84 歳、死去。松蔭寺、龍澤寺、無量寺に分骨される。
悟り修行の大切さを説き、晩年に自身も生涯に36回の悟りを開いたと語っている。
その求道精神満ち足りることがなくは、「大悟十八度、小悟数知らず」という言葉が現代に伝わっている。
生涯において、四弘誓願を貫き通し、民衆の教化および 弟子 を育てた。
白隠は、民衆に布教を広めていく中で、禅の教えを表した絵を数多く残した。
正確な数字は、分かっていないが、1万点以上と言われている。
独学 にもかかわらず、「達磨図」(1719年)では、すでに優れた画技を見せている。
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