埼玉県上尾市から来られていたお客様に来店頂き、後日宅配買取で数点の茶道具や骨董品をお送り頂きました。
売却例の説明
写真が8枚あります。くわしくはこちら
祇園祭を見終わり、ゆっくり観光して、ついでに祇園の散策をされておられていたようで、当店の周りは古い建物が並ぶ祇園風致地区で、約80軒の古美術骨董店が集まっており、珍しく思われたのかも分かりませんが、「さすが、千年も都が続いた街は凄いですね、入りやすいお店なので、少し見せて頂きます」と話され来店頂きました。埼玉県から家族旅行で来られていたようで、いろいろ説明させて頂きますと、我が家にも先代からの 骨董品 や 茶道具 も残っているとの話から、売却頂くお話になりました。後日LINEで写真をお送り頂き、抹茶 茶碗 や 諸道具 を数点宅配買取でお譲り頂きました。
この作品は河井寛次郎の鉄釉茶碗です。共箱 ではありませんが、河井寛次郎は多くの試作品を作り、研究に励んでおられました。上り の悪い逸品や、景色 の気に入らない 逸品 は、人々に差し上げておられたのだと思われます。河井寛次郎記念館に伺うと分かりますが、上絵付 や 飴釉、自然釉が施された陶片が、登り窯 周辺に放置されております。この作品を持って、河井寛次郎記念館で箱書きと 鑑定 をして頂くと、3万円から5万円の費用が必要です。
昔の作家は大変な時間と努力を積み重ね、やっとの思いで独自の作品を作り上げます、少し作家の苦労話をさせて頂きます。一般的に芸術家が一生涯に制作された作品で、力作や秀作は制作した全作品の二割ぐらいだと聞いております。例えば、河井寛次郎の登り窯の周辺では多くの陶片が残され色や形を探るのに何千もの陶片を焼き、研究されていました。殆どの芸術家は、試行錯誤を何年も繰り返し、50歳頃になりようやく自分独自の作品が出来るようです。最近では才能は何もしなくてもすぐに開花すると思う若者も多くおられますが、プロスポーツやオリンピックの選手達は口を揃えて何年もかかり、周りの人に助けてもらい自分の 境地 にたどりつくと話されます。芸術家も同じで、研究して境地に入られた 晩年 の作品は、高価で取引されているようです。これらの作品を査定、鑑定する古美術商も当然、同じ事が言えるでしょう。