この陶磁器は住之江区の百舌鳥・古市古墳群の近くまで骨董品出張買取でお譲り頂きました。
売却例の説明
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骨董品 は同じような作品に見えても、全て一点物でその時々で価格も異なり、今回は 古い時代 の 逸品 で 保存状態 も良く、高値でお譲り頂きました。この 陶磁器 は 中国美術 の陶磁器で、売却頂きましたが現在アジアのお客様に人気があります。直接販売しているので他店よりは高価で買取させて頂けると思います。このお客様も何も分からず、お問い合わせを頂き説明して売却頂きました。他にも数点の陶磁器や骨董品、茶道具 も大阪市住之江区の百舌鳥・古市古墳群の近くまで出張させて頂き、一緒にお譲り頂きました。
この作品は中国の 古陶器 で、清時代の後期に作られた貴重な逸品で、官窯 が衰退していく明末清初には民窯が活発になり、その後、輸出先の好みに合わせた製品を生産をするようになり、そんな時代に作られた逸品で、古染付まではいかないと思いますが、日本の時代では江戸時代と思われます。名品 とまでいきませんが、綺麗な上がりの 染付 模様で、当時でも高価な逸品です。このような作品の買取は是非古美術やかたにご用命ください。
このような陶磁器が最近人気があり、清時代の陶磁器の説明をさせて頂きます。清時代までに中国の古陶器は、頂点を迎える素晴らしい、開発や技術の進歩によって明末清初には 名品 と呼ばれる陶磁器が数多く生産されました。この時代には、康熙(こうき)年間〔1662~1722〕には御器廠が再開され、端整な宮廷用の 陶磁器 が生産され、雍正(ようせい)年間〔1723~1735)と乾隆(けんりゅう)年間〔1736~1795〕には生産 技法 も最高潮になり、粉彩 と呼ばれる七宝の技法を用いて作られた磁器も生まれました。一方、日本の時代では江戸時代ころですが、官窯 が衰退していく明末清初には民 窯 が活発になり、景徳鎮の民窯では 金襴手 や芙蓉手などが焼かれ、輸出先の好みに合わせた製品を生産されるようになりました。