茶道具売却依頼で、竹花入を売却頂きました。
売却例の説明
「私の家では古美術骨董品は昔から誰も興味が無く 骨董品 には縁が無いと思っていましたが、父が以前に貰ってきた 煎茶道具 や 茶道具 が二、三点あったので一度見て頂こうと持って来ました。」と話され、お店に入って周りを見て、多くの綺麗な品物にびっくりされておられましたが、同じ様な 逸品 を例にとりいろいろ説明させて頂きました。当店では販売価格を表示して陳列してあるので、販売価格から買取価格を決定して今回お譲り頂くことになりました。この作品は竹 花入 で明治時代頃に作られた作品で写真では分かりませんが少し割れがあるので、茶道具は傷があると嫌がられ買取価格は少し安くなりました。この茶道具には著名な作家の 花押 落款 も無く 宗匠 の書付も無く、ただ古くて味がある作品なのでお譲りさせて頂きました。やはり茶道具は 共箱 があり 書付 や作者により品物の値打ちが変わってくるのでこのような作品はどうしても売却頂く価格は安くなります。
このような 茶道具 は日本ではお抹茶の道具ですが、最近ではアジアのお客様は竹のお道具が好きで、日本で言う 煎茶道具 として中国茶で使われているようです。ついでに煎茶とお抹茶の歴史の話をします。最初は奈良や平安時代に、遣唐使や留学僧によって 伝承 され、貴重な飲料でした。その後鎌倉時代頃には、茶の専門書「喫茶養生記」を著し良薬として茶を紹介し、京都栂尾の高山寺に茶を植え広めました。さらに伊勢、伊賀、駿河、武蔵でも栽培され、南北朝時代になると「闘茶」が行われました。安土桃山時代になると、千利休(1522~1591)らによって「茶の湯」が完成し、豪商 や武士たちに浸透していきました。江戸時代では一般庶民にもお茶が浸透して、18世紀後半以降、全国の茶園に広がり、日本茶の主流となっていきました。宇治田原郷で、優良な煎茶の製法を編み出し、「宇治製法」と呼ばれ、1835年、山本嘉兵衛により玉露の製法が生み出されたといいます。明治時代は、アメリカを中心に重要な輸出品として茶が輸出されました。明治中期まで、花形輸出品として発展してきた日本茶も、インド、セイロン紅茶の台頭で、輸出は衰退していきました。