茶道具売却依頼で、出張させて頂き日本画をお譲り頂きました。
売却作品の説明
写真が12枚あります。くわしくはこちら
全体 縦幅約 145cm 横幅約 26cm
本紙 縦幅約 37cm 横幅約 5.8cm
数寄者 のお客様で、子供さんに来店頂きましたが、売却される 古美術工芸品 の説明もさせて頂きたいので、神奈川県の横浜まで出張しました。さすが横浜のお客様で、先代が大きなお商売をしておられ、古書画の神奈川県でも有名なコレクターで沢山の品物がありました。お店で売りやすい数点の逸品を買取させて頂きました。今回、掛軸をお譲り頂きましたので、先に紹介させて頂きます。江戸時代初期に京都で活躍した俳人、野々口立圃の作品です。江戸時代のままの表具で、今では見られない面白い 裂 が使われた美しい掛け軸です。やはり古い古書画には、昔の 古裂 が似合い、古い時代の掛け物の素晴らしさが際立つ掛け軸です。本紙 は 紙本 で、軸先は木製です。 古い時代 の作品ですが、ご覧のように、状態の良い 掛軸 です。面白い 図柄 で、保存状態 の良い昔の掛軸は買取させて頂きます。
茶道は元々大陸から伝わった文化なので、煎茶や抹茶の歴史を少し紹介します。最初は奈良や平安時代に、遣唐使や留学僧によって伝えられ、貴重な飲料でした。その後鎌倉時代頃には、茶の専門書「喫茶養生記」を著し良薬として茶を紹介し、栂尾の高山寺に茶を植え広めました。さらに伊勢、伊賀、駿河、武蔵でも栽培され、南北朝時代になると「闘茶」が行われました。安土桃山時代になると、千利休(1522~1591)らによって「 茶の湯 」が完成し、豪商 や武士たちに浸透していきました。江戸時代では一般庶民にもお茶が浸透して、18世紀後半以降、全国の茶園に広がり、日本茶の主流となっていきました。宇治田原郷で、優良な煎茶の 技法 を編み出し、「宇治製法」と呼ばれ、1835年、山本嘉兵衛により玉露の製法が生み出されたといいます。明治時代は、アメリカを中心に重要な輸出品として茶が輸出されました。明治中期まで、花形輸出品として発展してきた日本茶も、インド、セイロン紅茶の台頭で、輸出は衰退していきました。