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九谷焼や陶芸作品の骨董品宅配買取を山梨県大月市のお客様より頂き、古九谷写しの作品や諸道具をお譲り頂きました。すべて手描きで、絵付 けが素晴らしく、保存状態 も良く傷、欠け等無い古九谷写しで紹介します。

売却例の説明
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この陶磁器は明治時代頃の 陶磁器 で古九谷写しの 徳利で買取ました。すべて手描きで、絵付 けが素晴らしく、可愛らしい徳利です。採光の加減で白く光っておりますが、保存状態 も良く傷、欠け等無く、綺麗な品物で高価買取させて頂きました。すべて手描きで、面白い昔の手作りの作品です。上り も良く、貫入 も無く、描き込みが綺麗な 保存状態 の良い 完品 です。徳利で綺麗な合わせ箱が付いております。この作品はお店で販売している安価な骨董品で、ホームページ上では販売しておりませんが紹介させて頂きます。店頭では二千円から一万円までの楽しいアンティークの品物を沢山販売しておりますので、是非ご来店くださいませ。

本歌の古九谷とは、九谷焼の歴史は、明暦元年(1655年)に有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、加賀藩の命によって九谷村で開窯したのが始まりです。九谷の金山で陶石が発見されたことに着目した大聖寺藩の初代藩主、前田利治(まえだとしはる)による政策だったといわれています。しかし、開窯からおよそ50年程度たった1700年代の初頭、九谷窯は突然閉じられてしまいます。なぜ閉じられたかは定かではありませんが、この約50年の間に焼かれたものが「古九谷」と呼ばれています。伊万里焼 には「古九谷」と似た「古九谷様式」と呼ばれるものがあり、古九谷であると思われていたものを分析にかけると、石川県ではなく佐賀県で作られたものであることが判明するといった例もあります。このことから、「古九谷と呼ばれるものは九谷ではなく、有田で焼かれたもの」「古九谷は有田の初期 色絵 作品」という説も生まれました。しかし、九谷古 周辺から古九谷風の色絵陶片が発掘されており、現在は「古九谷と有田(伊万里)の間で技術的な交流があった」「複数の産地で同じ様式のものが作られていた」と考えられており、古九谷と古九谷様式は別のものとして扱われています。

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