四国の徳島県美馬市のお客様より宮川香山の陶磁器の置物や諸道具の骨董品売却依頼を頂き、宅配でお譲り頂きました。
売却例の説明
写真が68枚あります。くわしくはこちら
写真5 横幅約 9.6cm 奥行約 5.2cm 高さ約 6cm
写真20 横幅約 10cm 奥行約 4.6cm 高さ約 4.3cm
写真36 横幅約 9.4cm 奥行約 6cm 高さ約 6.8cm
先に品物を紹介させて頂きます。材質は 陶器 で、宮川香山の作品です。時代は明治時代から大正時代のものだと思われます。丁寧に作られた毛並みや姿が面白く、また、狆のあどけない顔の表情、その表現方法に昔の 職人技 が光る 逸品 です。宮川香山の作品は、貴重な日本を代表する 陶磁器 で、外国のお客様に非常に人気があります。写真をご覧のように、さすが宮川香山の作品と思わせる可愛い 置物 で買取させて頂きました。採光の加減で白く光っておりますが、傷や割れ等無く、ご覧のように 保存状態 の良い品物です。このような 骨董品 や 茶道具 はお譲り頂けますので、是非ご相談下さい。
宮川香山(みやがわ こうざん)1842年(天保13年) - 1916年(大正5年)は幼名は虎之助。宮川 香山は代々やきものを生業とする家庭として生まれました。父は、京都の真葛ヶ原の陶工・真葛宮川長造で、茶器制作を得意とし「眞葛焼」の呼び名や「香山」の号を与えられていました。父に製陶を学び、1860年父や兄が亡くなり家業を継ぎ初代香山と 号 しました。明治4年開港して間もない横浜へ移住。横浜市南区の野毛山に眞葛窯を開窯を築き本格的に 陶磁器 の制作。政府も 日本独自 の 工芸品 輸出を奨励。香山独特の表現方法として確立した独創的な技法「高浮彫(たかうきぼり)」を考案し、この 緻密 で装飾性の高い 技法 で独自の世界を築き、このような時代のなか、明治9年フィラデルフィア万国博覧会や、明治11年パリ万国博覧会などで受賞して人気を集めます。その後明治10年代頃から、釉下彩を研究し、青華、釉裏紅、青磁、窯変、結晶釉などの作品を制作します。優美で華麗な釉下彩・釉彩の眞葛焼は、明治22年パリ万国 博覧会 また、シカゴや明治26年コロンブス 万国博覧会 で絶賛されます。1896年(明治29年)6月30日には、陶芸 界では二人目の 帝室技芸員 を拝命しました。大正5年陶芸史に偉大な足跡を残した宮川香山は亡くなりました。
今回は宮川香山の作品を買取させて頂きましたので、作家の簡単な作品と力作の差について少し説明させて頂きます。どんな事でも同じ事が言えますが、作品を作るのに簡単に作った作品と、時間を掛けて作った作品が同じ価格ならおかしいでしょう。例えば、当店のある祇園街では、お茶屋さんで遊んで、お金が足りなくて襖に簡単に絵を描いて帰られた作家もおられます。同じ作家でも、展覧会 に出品される作品は長時間かかり制作され、当然上記のような作品と同じ価格ではありません。このように作家の名前で価格の決定は出来ません。
このお客様のご事情は、数は多くないと話されていましたが、お爺さんが亡くなり、お爺さんは骨董品を買うのが趣味で集めておられていたようで、LINEで多くの写真をお送り頂き、ゆっくり説明させて頂きました。このお客様は四国の徳島県美馬市のお客様ですが、当店では沢山の骨董品を販売しており、ホームページで販売している品物を例に取り、お引き取り価格を決定させて頂き宅配でお譲り頂きました。