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印籠

印籠 (いんろう)

三段ないし四段重ねになった小形の容器で、紐を通して緒締めで締め、紐の先端につけた根付けを帯のあいだにはさんで腰にさげるもの。
応急用の薬を入れて携帯するものであったが、内容品を入れずにたんなるアクセサリとして用いられるようになった。
印籠を腰に下げる風習は桃山時代か江戸初期ごろからおこなわれるようになったと思われ、当時の風俗画に見られる。

吉向焼

吉向焼 (きっこうやき)

江戸時代、享和年間(1801~1804)伊予大洲藩出身の戸田治兵衛が、京に出て楽家九代了入、初代清水六兵衛、仁阿弥道八、浅井周斎などの名人達に作陶を学び、大阪十三村に築窯、庭前の老松と生駒山にのぼる月をめで「十三軒松月」と号し、作陶に専念したのが起こりです。

飛青磁

飛青磁 (とびせいじ)

器面に鉄斑を施し、その上から青磁釉をかけて焼きあげ、赤褐色の鉄斑の模様を飛ばしているものをいいます。
元時代の龍泉窯で多く制作されました。

淀川舟運

淀川舟運 

淀川は、古くから京都と大阪、さらには瀬戸内海から日本海を経て東アジア各地へと結び、人や物資の輸送さらには文化交流を支える交通路として重要な役割を果たしてきました。
江戸時代、大阪が「天下の台所」としての役割を担うようになると、淀川が経済の大動脈となり舟運による輸送が活発に行われていました。
安藤広重の浮世絵にも描かれた三十石船や過書船などさまざまな種類の船が京都の伏見港から大阪天満の八軒家浜(はちけんやはま)の間を往来し、最盛期には約1400艘の船が運航していたといいます。

枚方は、江戸時代に京都・大阪を結ぶ京街道(東海道)の宿場町として栄え、淀川三十石船の中継港として賑わい、多様な文化を育んでまいりました。
江戸時代、枚方は京街道(東海道)の宿場町として栄え、また、淀川を往来する三十石船の中継港として大いににぎわっていました。

六古窯

六古窯 (ろっこよう)

日本古来の陶磁器窯のうち、中世から現在まで生産が続く代表的な6つの窯の総称。

平安から鎌倉時代に始まった窯。
瀬戸、常滑、丹波、備前、越前、信楽を指します。
六古窯以外にも全国各地で鎌倉時代の窯跡が数多く発見されていますが、いずれも淘汰されていきました。
良質の器を安く効率良く生産し、各地へ販路を拡大して産業として根付いたものが六古窯です。

油皿

油皿 ( あぶらざら )

行灯(あんどん)用の油受け皿のことで、灯油を入れ、灯芯を燃やし火をともすための陶器の小皿です。
あんどん皿とも呼ばれています。

赤絵

赤絵 ( あかえ )

赤を主調とし、緑・紫・青・黄などの顔料で上絵付けをし、八百度前後で焼き付けられた陶磁器のことです。
中国では宋代から見られ、日本では1644~1648年に柿右衛門が取り入れ、同時期に九谷でも行われるようになりました。

煎茶道具、四代三浦竹泉、染付急須<共箱>

注ぎ口を含む横幅約 10.9cm 注ぎ口を含む縦幅約 9.6cm  
高さ最大約 5cm

四代 三浦竹泉(明治44年~昭和51年)の作品で、
可愛らしい唐子や唐草模様が染付で描かれております。

採光の加減で白く光っておりますが、
未使用品に近い完品です。

古美術やかたホームページ
骨董品 茶道具商品番号 D-103です。
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御茶道具、金工細工、亀香合<共箱> 

横幅約 7.6cm 縦幅約 5cm 高さ最大約 3cm

材質は銅器です。
箱書きより、大正時代に作られたものです。

ご覧のように甲羅や顔、足など細部まで丁寧に作られており、
一見本物の亀と見間違える程、非常に出来の良い作品です。

在銘・共箱ですが、作者については良く分かりません。

採光の加減で白く光っておりますが、状態の良い品物です。

古美術やかたホームページ
骨董品 茶道具商品番号 D-83です。
(このページは過去のブログの為、売却済みの場合映像がありません)