淀川舟運

淀川舟運 ( よどがわしゅううん ) 

淀川は、古くから京都と大阪、さらには瀬戸内海から日本海を経て東アジア各地へと結び、人や物資の輸送さらには文化交流を支える交通路として重要な役割を果たしてきました。
江戸時代、大阪が「天下の台所」としての役割を担うようになると、淀川が経済の大動脈となり舟運による輸送が活発に行われていました。
安藤広重の浮世絵にも描かれた三十石船や過書船などさまざまな種類の船が京都の伏見港から大阪天満の八軒家浜(はちけんやはま)の間を往来し、最盛期には約1400艘の船が運航していたといいます。

枚方は、江戸時代に京都・大阪を結ぶ京街道(東海道)の宿場町として栄え、淀川三十石船の中継港として賑わい、多様な文化を育んでまいりました。
江戸時代、枚方は京街道(東海道)の宿場町として栄え、また、淀川を往来する三十石船の中継港として大いににぎわっていました。