古九谷

古九谷 ( こくたに )

明暦元年(1655)に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりで、わずか100年たらずで廃窯。
この間に焼かれたものを、現在「古九谷」と呼んでいます。

江戸時代、明暦(1655~1658)から元禄(1688~1704)にかけて加賀国九谷で焼かれたとされる色絵磁器。

17世紀半ば、大聖寺藩主前田利治が家臣の後藤才次郎らに命じて製陶したのにはじまり、約50年ほどで廃止されたと伝えられている。
この期の作と考えられるものを一般に〈古九谷〉と呼ぶ。
しかし、古九谷に関しては、その開始時期をはじめとして、その発展の経緯や廃窯の時期、有田焼との関係など、その窯跡が発掘調査された現時点においても明確な結論が出ていない。

石川県の加賀市、小松市を中心に産する焼物。
17世紀半ば大聖寺藩主前田利治の命により、後藤才次郎が領内江沼郡の九谷(現加賀市)に開窯して豪快な色絵磁器を焼いた。
これを〈古九谷〉という。

「古九谷」については未だに産地論争がありますが、一部の作品は肥前地方で作られた伊万里焼の初期の色絵磁器であることには疑いありません。
中国の五彩磁器の影響を受けて発展した濃厚な色彩、躍動感あふれる大胆な構図の古九谷様式の伊万里焼は、一方では輸出需要からヨーロッパ好みの軽やかな赤の色彩が主役の柿右衛門様式へと展開し、一方では将軍献上用に格調高く仕上げられた鍋島焼に技術が応用されていきました。