吉向焼

吉向焼 ( きっこうやき )

江戸時代、享和年間(1801~1804)伊予大洲藩出身の戸田治兵衛が、京に出て楽家九代了入、初代清水六兵衛、仁阿弥道八、浅井周斎などの名人達に作陶を学び、大阪十三村に築窯、庭前の老松と生駒山にのぼる月をめで「十三軒松月」と号し、作陶に専念したのが起こりです。

昔はそれぞれ地方にも窯元があり、それぞれの特長や、材料の土にあわした技術で独特の焼き物を製造していたところが多くあります。
特に大阪は文化の中心で、京都にも近く、京都には有名な清水焼があり、それらの影響も大きく受けて、出来上がった焼き物です。
特に大阪は商業都市で、おおくの陶磁器の需要があり、必然的に陶磁器の生産が多くなり栄えていくことになりました。

一般の説明とは違い骨董品業界の場合は、特殊な言い方や表現があり戸惑われる方もおられますが、昔からの習慣や慣例に基づき続いている古い業界なので、大きく物事をとらえて頂き、骨董品や茶道具を連想して考えて頂ければ、と思います。