勧業博覧会

勧業博覧会 ( かんぎょうはくらんかい )

産業を奨励し振興する目的で開く博覧会。

明治政府が産業振興のために催した内国勧業博覧会。第1回は1877年(明治10)東京の上野公園で開催され、以後、京都、大阪などで5回まで行われた。

内国勧業博覧会。明治政府の殖産興業政策の一環として行われた内国物産の博覧会。 1867年パリ万博、73年ウィーン万博、76年フィラデルフィア万博への参加を契機に大久保利通の建議書によって計画、第1回博覧会は出品点数8万余、入場者数 45万人余を集めて 77年上野で開催された。出品物は工芸品を主としていたが、回を重ねるにつれて機械類が増加。共進会とともに産業技術の発展と普及に大きな影響を及ぼした。 1902年大阪で開かれた第5回が最後。以後は府県主催、新聞社主催の博覧会が多い。

明治政府が殖産興業の一環として行った官営事業の一つ。1873年の内務省設置以後、政府の工業化政策の重点が官業から民業の育成へ移り、アメリカ、フランス、オーストラリアなど海外の博覧会への参加や、内国勧業博覧会の開催(1877年第1回、81年第2回、90年第3回、いずれも上野公園、95年第4回京都、1903年第5回大阪)が相次いで行われた。そしてこれに刺激されて愛知県博覧会(1878)、三重県博覧会(1880)、宮城県博覧会(1880)、京都府博覧会(1882‐83)などが相次いで開催され、84年には2府5県で13件、85年には2府6県で9件の博覧会が開催された。

内国勧業博覧会( ないこくかんぎょうはくらんかい )
明治政府の殖産興業政策の一つとして開かれた内国物産、美術・工芸品の博覧会。1877年,1881年、1890年東京上野公園、1895年京都、1903年大阪で開催。農産物、工芸品、機械類等を出品。回を重ねるごとに盛んになり共進会とともに産業技術の発達を促した。