遠州七窯

遠州七窯 ( えんしゅうしちよう )

江戸時代初期、小堀遠州が好みの茶入れや茶碗などを作った七つの窯のことです。
遠江志戸呂(しどろ)・近江膳所(ぜぜ)・豊前上野(あがの)・筑前高取・山城朝日・摂津古曾部(こそべ) ・大和赤膚(あかはだ)の七窯で、遠州好み七窯と呼びました。
以上のような陶芸品がありますが、今ではほとんどの窯が廃止され焼かれておりません。
昔はこのような地方の窯元がいろいろありましたが、この七つの窯は特別有名で、味があり、人気がありました。
しかし、陶芸作品も量産されるようになり、安価な作品が多く出回るようになり、現在では廃止された窯元が多くあります。

日本にも各都市にいろいろな、陶芸作品の窯元がありました。
また、大陸から渡ってきた、古渡り、唐物の作品も日本には数多く残っています。
そして、豊臣秀吉が連れ帰った、朝鮮の陶工、により伊万里焼の陶磁器の生産が始まり、陶芸作品が一挙に庶民にまで、いきわたりました。
陶芸作品は、登り窯のように火をくぐり自然の中で完成します。
作品の景色や、状態は、焼きあがるまでわかりません、そこに陶芸作品の面白さがあり、同じ窯で同時に焼かれても、一点、一点、違い同じ焼き上がりの陶芸作品はありません。
焼き上がりの景色や出来栄えにより価格は大きく違ってきます。
また、産地の特定や、時代の判断は、高台の土や陶芸作品の色合い、また図柄の伸びやかな生き生きとした大胆な構図、形で判断します。
そして藩や官窯になりますと、緻密で極彩色や空間の伸びやかさ、また精密に書かれた年号等で真贋を問われます。
このように陶芸作品の真贋を問う場合や、時代を見るのは数十年の経験が必要でしょう。
どの陶芸作品でも同じで、参考までに書かせて頂きました。