カテゴリー: 骨董用語集

アール・デコ

アール・デコ

ヨーロッパおよびニューヨークを中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行、1925年パリ国際装飾博覧会で好評だったスタイル。
前世紀のアール・ヌーボーの系譜を引き継いでいるが、ジグザグ模様や直線的幾何学的パターンが特徴。

アール・ヌーボー

アール・ヌーボー

19世紀末に流行したスタイル。
植物の形からヒントを得た、曲線や当時としては大胆な色彩が特徴。
それまでの様式を超える斬新なものとして世界的に流行した。
ラファエル前派やアート・アンド・クラフツを前提としている。

愛好家

愛好家 ( あいこうか )

ある事を好んで楽しんでいる人のこと。

熱烈な追随者および賛美者。

特定の人物や事象に対する支持者。

特定のものに強い愛着を示す人のこと。

会津塗

会津塗 ( あいづぬり )

福島県会津若松市特産の漆器。
蒲生氏郷(がもううじさと)が1590年(天正18)に領主になってつくられたといわれるが、それ以前の室町時代の領主芦名(あしな)氏も漆苗の栽培を奨励し、ろくろ曵きに赤や黒の漆を塗った箱盆や木鉢類をつくったという記録がある。
現在も日本有数の漆器の産地で、朱、緑、黄の色漆で松竹梅などを描き、方形や短冊型の金箔を置いたものや、消粉蒔絵によるものが多く、これらは江戸時代からつくられていた。

青貝細工

青貝細工 ( あおがいざいく )

漆器面に薄貝を用いて、種々の文様を散りばめたもの。
文様の作り方には小刀や針先で切り抜く方法、模様の形に作った鏨(たがね)で打ち抜く方法、および稀塩酸を塗って模様以外の部分を腐蝕させる方法があります。
富山県高岡市の青貝細工が有名です。

赤絵

赤絵 ( あかえ )

磁器の一種。
錦手、五彩、色絵などともよばれ、多くの種類がある。
ふつう、釉薬をかけて、高火度で焼き上げた白磁の器面に、赤、緑、黄、青、黒などに発色する上絵の具で模様を描き、錦窯(きんがま)いう小型の窯とよばれる窯に入れて低火度で焼きつけたものをいう。
この手法を上絵付けといい、これを陶器に応用したものが色絵陶器である。
赤絵は中国で特に発達し、その影響を受けて、ベトナムや日本でもつくられるようになった。
最古の赤絵といわれる赤絵は、中国宗代で13世紀につくられた宋赤絵である。
明代初期には中国最大の磁器の生産地である景徳鎮でつくられ、宮中の御用品とされた。
特に成化年間のものがすぐれていたとされているが、現在に残っているものはまれである。
また、明代中期には、濃い赤や緑を使った古赤絵(こあかえ)とよばれる赤絵が大量につくられ、金彩を加えた金襴手(きんらんで)とよばれる豪華な赤絵の他、様々な技巧をこらした赤絵がうまれた。
ベトナムの赤絵は安南赤絵といわれ、15~6世紀頃つくられ、黄ばんだ軟調の器地と、柔らかい筆使いに特徴がある。
また、日本の赤絵は中国に次いで世界に名高く、最初の赤絵は寛永、正保(1624~47)のころ有田の陶工酒井田柿右衛門が長崎在住の中国人に学んで創始したものといわれている。
その技法はまもなく有田一円に広まり、有田には赤絵町が生まれ、製品は伊万里や長崎の港から、日本はもとより、遠く海外にも大量に輸出された。

赤膚焼

赤膚焼 ( あかはだやき )

奈良市五条町付近で産する陶器。
赤膚山焼、五条焼ともいう。
陶土は西の五条山 (赤膚山) から運ばれる。
白い土質で、淡い赤みを帯びた灰白釉をかけ、京焼風の上絵付けをする。
江戸時代初期には遠州七窯の一つに数えられた。
生産は現代まで続いているが数次の断続があり、天保年間 (1830~44) の奥田木白 (もくはく) の作品が最もすぐれている。

奈良市の五条山(赤膚山)付近で作られる陶器。
遠州七窯(えんしゅうなながま)の一。
天正年間(1573~1592)に始まるが、茶陶としては寛政以後。

奈良市五条町の陶器。
五条焼、尭山(ぎょうざん)焼とも。
創業は天正説、享和説、遠州七窯説などあるが不明。
江戸中期、柳沢尭山(郡山城主)のころ再興され、名工木白(もくはく)(柏屋武兵衛)〔1799-1870〕が出てから有名になった。

奈良市・大和郡山市で製作されている。
小堀遠州の好んだ遠州七窯の一つに数えられる。
大和五条山附近一帯の土は製陶の素材として適し、古くからの窯業地。土器・火鉢などの製作が盛んにおこなわれていた。
その後、安土桃山時代に茶の湯がおこると、茶道具がつくられるようになった。
乳白色のやわらかい風合いと奈良絵文様などが特徴。
現在は、花瓶・茶器・水指など多様な作品がつくられている。
奈良県伝統的工芸品。

上り

上り ( あがり )

陶器の焼き上がりの事。

陶芸の魅力のひとつ。
微妙な色合いや色目など、釉薬のかけ具合や本焼きのときの微妙な温度などで変わってくるものなので、焼いてみるまで仕上がりがわからない、そんな意外性を楽しむ。

古陶器の素地の断面を見ると、同じ素地であるにもかかわらず、断面色が異なっている場合がある。
昔の坑窯では、焼成終了とともに焚き口・煙突口を泥で密閉した場合もあったようだ。
つまり、冷却還元焼成という状況になった場合も少なからずあったに違いないと推測する。
現代の焼成のように、キチンと酸化焼成・還元焼成という区分けは難しい。
薪ををくべると超還元焼成状態になり温度が上がらず、しばらくして焚き口を開けると酸化により温度が急上昇する、そんな、還元と酸化状況が極端に交互して焼成がなされたと思われる。
そして冷却条件も加味されるので、昔の焼成方法は、実に複雑であったと言わざるを得ない。
いまでも、登り窯や坑窯を好んで使う陶芸家がいるのは、単に灰かむりを期待しただけでなく、
そんな複雑な焼成条件が醸し出す微妙な古の色触を愛でた感覚に因るものであるのだろう。

酸化焼成
窯内に酸素を十分に取り込んで、徐々に温度を上げ青白い炎で焼きます。
還元焼成
窯内の空気の流れを遮断して、不完全燃焼の状態で焼きます。
赤黒い炎で一酸化炭素を発生し、黒い煙が出ることも。
燃料の種類や供給のタイミングが難しいため、高度な技術が必要。

飛鳥時代

飛鳥時代 ( あすかじだい )

推古朝 (593~629) を中心とするその前後の時代。
時代区分の範囲については諸説ある。
飛鳥は地名,奈良盆地南部の一地方で、現在の明日香村付近の名称。
もともと白鳳時代,天平時代 (→奈良時代 ) とともに美術史上の時代区分で、仏教公伝 (538,一説には 552) から大化改新 (645) までの約1世紀間、都が多くこの地方にあり、仏教およびこれに伴う大陸文化がこの地方を中心に開花したことによる。
考古学上では古墳時代の後期 (6世紀初めから7世紀中頃まで) に属し、そのなかでみずから一つの頂点をつくる時代をいう。
広義には、聖徳太子摂政就任の推古1 (593) 年から平城京遷都の和銅3 (710) 年までを含む意味に用い、狭義には推古朝をさす。
政治史では狭義に用いるのが普通である。

6世紀末から7世紀にかけて、飛鳥地方を都とした推古朝を中心とする時代。

7世紀前半、推古(すいこ)朝を中心とする時代。
推古天皇が即位した592年から710年平城京遷都までをさした時代区分。
美術史などでは7世紀後半以後を分立させて白鳳(はくほう)時代と呼ぶ。

アタリ

アタリ

陶磁器や陶器の事で、胴の部分に他の物が当たってできた放射状のニュウと釉薬のキズのこと。