喜多川歌麿

喜多川歌麿

きたがわうたまろ

生年不詳~1806年(文化3)

美人画の代名詞的な 浮世絵 師。
はじめは北川豊章と名乗り、役者絵芝居絵また名所絵も描いていました、しかし天明元年春から歌麿の 号 を用いる。天明3年より喜多川を画姓とし、喜多川派の祖となる。当初は黄表紙や洒落本などの 挿絵 を描き、徐々に浮世絵に傾斜していきました。ついで役者の大首絵を 美人画 に採用、豊かな女性の表情を捉えた 画風 により、寛政期、鳥居清長と並ぶ美人画の第一人者となった。美人大首絵は、濃艶な色香や、女体の質感、表情・しぐさに表れた微妙な心の襞が描出され、傑出した力量を示している。  肉筆 画・春画にもすぐれたが、八景浮世絵など名所 風景画 にも名作を残す。 晩年 は筆禍事件で手鎖の刑を受けるなど、失意のうちに没した。 しかしながら、美人画の名手の著名な作家として、後世に及ぼした影響は計り知れない。

特に人気が高いのは大首絵、といわれる半身図で、表情や仕草から女性の内面までも描き出している。歌麿の 全盛期 は寛政4年、1792年から寛政8年ごろで、婦女人相十品、婦人相学十躰、歌撰恋之部などの美人大首絵の傑作を次々と生み出した。また、当時評判の遊女、水茶屋娘を描いた、当時全盛美人揃は、女性の理想美を意図した美人画である。喜多川歌麿は、美人画のイメージが強いが、虫の息遣いをも伝えるような、画本虫撰など、狂歌 絵本 の傑作なども残している。

 

 

 

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買取実績 PURCHASE RECORD

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数種類の伊万里焼の骨董品宅配買取を頂き、このようなお皿もお譲り頂きました。

写真が7枚あります。くわしくはこちら 江戸時代末期頃に作られた伊万里焼です。写真をご覧のように、面白い 図柄 が、細かく丁寧に描かれており、非常に美しい 赤絵 の皿で買取しました。すべて手描きで、赤絵付けが素晴らしく、可愛らしいお皿です。さすが昔の 職人技 と思わせる 逸品 で買取ました。採光の加減で白く光っておりますが、傷やヒビ、割れ等は無く、ご覧のように状態の良い品物です。価格は1枚の値段ですが、在庫は5枚あります。この作品は、競り市やオークションで買い受けた作品ではありません。直接お客様より入荷した、うぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの 骨董品 で、現状のまま販売しております。 伊万里焼について説明します。 伊万里焼は、九州北西の佐賀県有田町周辺で17世紀から作られている磁器の総称で、日本最古の産地でもあります。16世紀末の朝鮮出兵時、朝鮮人陶工を伴い帰国した、李参平が磁器原料の磁石を発見し、日本で作陶を行うこととなり、17世紀初頭が 伊万里焼 のはじまりとされています。朝鮮人陶工の下に、日本人陶工も磁器に関わる高度な技術を習得して、さらに中国 景徳鎮 磁器の技術習得が図られ、色絵 技法 も習得しました。磁器は中国が発祥の地ですが、戦乱と王朝交代で中国磁器の輸入が途絶え、代わりに有田が磁器生産を増やし、国内の磁器市場を築いた。当初の朝鮮式の技術から中国式の技術への転換が起こり、技法が刷新されて、色絵 の技法が中国人陶工より伝えられ、現在の伊万里焼の磁器の基となっております。

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