寄せ集めの鎧兜ですが部品取りに骨董品宅配買取でお譲り頂きました。
売却済
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かつて日本にはおびただしい数の鉱山があり、質の良い金や銀、銅などが産出されていました。豊富な資源に恵まれ、時代の古い銀製品の 彫金細工 や 金工細工 の技術が育まれて来たのです。日本の銀製品の歴史は古く、奈良時代の銀製品には、鏡、錫杖、柄香炉 、銀 壺 などが残されており、江戸時代には、銀製品が貨幣の代わりに使われていた時代もあります。大黒像の極印が丁寧に 彫刻 されたようなものも存在し、恩賞や贈答用に使われていました。豊富な銀や銅があってこそ 古い時代 から日本の彫金技術は育まれたきたのでしょう。
南鐐 とは美しい銀、精錬した上質の銀のことをさします。江戸時代の通貨には、純度は98パーセントの極めて純度の高い貨幣が使われていました。それが明和南鐐二朱銀などです。これらを作った江戸の職人たちの 伝統 の 技巧 が、のちの優れた金工作品へと生かされていくのです。
徳川家康は、江戸時代、幕府を開くと、すぐに貨幣の統一をはじめました。江戸時代の貨幣制度はとてもユニークで、金・銀・銅という三種類のお金があり、代金を払うときに、金貨で払うもの、銀貨で払うもの、銅貨で払うものと、分かれていました。高額な取引には、関東では金貨を使い、関西では銀貨を使いましたが、それは、東日本には金山が多く、西日本には銀山が多かったことに由来します。
金・銀・銅、それぞれに単位の呼び方も違いました。金貨の場合、両、分、朱などの単位があり、枚数で交換し、例えば1朱金4枚=一分などとしました。銀貨の単位には、貫、匁、分などがあり、こちらは、重さで交換し、重さ10000匁=一貫などとしました。今の円とドルのように、交換する相場も日々変動し、いくらの金貨といくらの銀貨を交換するのか、買い物するときの計算がとてもたいへんでした。そこで登場するのが両替商で、金・銀・銅の交換を専門に行うようになりました。この両替商は、経済の発展に伴い、どんどんを巨大な富を得るようになり、その後、お金の貸し借りや送金など、いわゆる、今の銀行のような役割をするようになりました。
江戸時代に作られた貨幣は、とても質が良かったと言われていますが、江戸幕府の財政が苦しくなると、貨幣の材料の金、銀も不足するようになり、金や銀の質を落とした貨幣が作られるようになりました。慢性的な財政難に悩む幕府は通貨の単位を金貨・小判に統一しようとしました。流通の便宜を図るためとの名目で、金貨と銀貨の為替レートを固定させて、通貨統一を果たそうとしました。その政策の中、1824年に、量目を減少させ発行されたのが、文政南鐐二朱銀です。その後の1837年に発行された、天保一分銀で統一は完成しました。しかしこれは、全国の金山、銀山を幕府の支配下に置き、特定の組織のみに金銀の取り扱いを許可するという体制の下でのみ、通用する制度でした。鎖国の下でのみに通用する政策で、開国後の金流出へとつながっていく原因となるのです。
日本独自 の 伝統技術 である彫金細工や象嵌細工、 打ち出し 細工、 鋳造 技術がこのような銀貨作りに生かされ、その後の銀瓶などの 工芸品 や 伝世品 へとつながっていきます。
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※ご予約の買取業務は定休日も行っております。
FAX 075-571-8648
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