刀装具の鍔や小柄の骨董品宅配買取依頼を頂き、このような金工作品の鍔をお譲り頂きました。
¥400,000-
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根付とは、江戸時代に煙草入れ、矢立て、印籠 、小型の革製鞄などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具のことです。根付 の起源は定かになっていませんが、江戸時代には現在の形で使われるようになりました。最初に根付を使用し始めたのは、武士でした。武士は印籠を携帯していたので、根付は必需品でした。その後商人や庶民も煙草を吸うようになり、煙草入れや 煙管筒を携帯する人が増えると、根付は広く普及していきました。みんなが持つようになると、根付の装飾性も重要視されるようになります。根付を専門で作る‘‘根付師 ’’という職業も生まれ、職人同士で技を競い合いました。この頃になると象牙や骨の根付が人気がでてきて、作風 の素晴らしい根付も作られるようになりました。また木彫りの根付や堆朱の根付など、日本の伝統技術を極めた根付なども作られました。しかし、明治時代になると洋装が普及し、根付の需要もなくなってきました。国内で需要が減少した根付は、 美術工芸品 として海外に盛んに輸出されるようになりました。外国での評価は高く海外向けの根付が多数作られました。根付が作られた日本以上に、海外での 骨董品 としての評価が高いのが根付の面白さです。日本では郷誠之助と高円宮憲仁親王とが蒐集家として 著名 です。2人が遺した膨大な蒐集品は、いずれも東京国立博物館に寄贈され、その名を冠したコレクションとして所蔵されています。
江戸時代から昭和初期にかけて作られたものを‘‘ 古典根付 ’’や‘‘ 古根付 ’’と呼び、戦後以降のものを‘‘ 現代根付 ’’と呼びます。 印籠が普及した江戸時代初期には、金工作品の 糸印 が多く使用されました。 豊臣秀吉は、糸印の著名な愛好家で高級武士たちもそれにならい、糸印の蒐集に励みました。江戸時代には 武家屋敷 に糸印があり、自然に印籠を提げる役割を果たしました。徳川家康は相当な薬愛好家で、自分のみならず高級武士や公家たちにも常備薬を持ち歩くことを奨励しました。その入れ物として、印鑑と朱肉を入れた小さな携帯用印籠に目をつけ、携帯用薬籠としました。この印籠を帯からぶら提げる時に、留め具の役目を果たしたのが根付で江戸時代に普及していきました。 江戸時代に入り根付師たちの技法も上達し、17世紀頃までに印籠と根付がセットで、高級武士、公家、 茶頭 、商人、町人まで普及しました。また、富裕層が所持した印籠や根付、煙管筒 には、蒔絵や 象牙 に象嵌細工や彫金細工が使用された、お金に糸目をつけない高級で芸術性のある根付が作られました。
現代では本来、根付の持っていた 工芸品 の存在価値は大きく変化し、芸術品や 美術品 、骨董品としての要素や価値が強く求められています。世界中の人々から、日本独自 の 伝統産業 として認められており、当時の日本人の心意気を今に伝えています。
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京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
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日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。
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京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。
※ご予約の買取業務は定休日も行っております。
FAX 075-571-8648
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