和田和一斎の詳しい説明と 買取
初代和田和一斎(1851-1901)
本名は市松で、はじめ竹雲斎、のち和一斎と号す。
荒物籠を作っていたが、籠師に転じた。
1881年(明治14)第2回内国勧業博覧会で褒状。
1994年(明治27)明治天皇銀婚式に際して住吉神社より自作の果物籠を皇室に献納、その籠を賞した近衛忠煕より「和一斎」の号を授かる。
初代竹雲斎をはじめ、多くの弟子を育てた。
難波の呑光斎、船場の初代早川尚古斎とともに、三巨匠として知られ、明治中期の文人籠の名工として大阪竹工芸界を率いた。
1901年(明治34)死去、50歳。
2代和田和一斎(1877-1933)
大阪生まれで、本名は鹿造。
1896年(明治29)から初代和田和一斎に学ぶ。
1907年(明治40)病気の療養のため有馬温泉で逗留、同時に竹工芸の指導を行った。
1919年(大正8)および翌年の浪華藍友会に参加する。
3代和田和一斎(1899-1975)
1899年(明治32)大阪生まれで、本名は茂一。
1911年(明治44)から2代和田和一斎に学ぶ。
1927年(昭和2)東京での個展で、作品が宮家の買い上げになる。
1933年(昭和8年)一斎と号していたが、2代 和田和一斎が逝去したため、3代を襲名する。
1941年(昭和16)兵庫県美術展知事賞受賞する。
1945年(昭和20)空襲により淡路島へ疎開のため転居。
1975年(昭和50)死去。
竹芸作品は、荒々しく、雄々しい作品で、年月を経て綺麗な飴色になった味わい深い煤竹や竹根を活かした竹籠が現代でも人気である。
竹芸作品の材料となる煤竹や竹根は、長い年月を経て燻ぶされたり、綺麗な飴色となり、味のある煤竹や竹根になる。
このように、すぐには材料が作れないため、材料となる煤竹や昔の竹根が今では殆ど少なくなり、年月を経た味わいのある竹籠が現在では作ることが困難となっている。
和田和一斎の場合、初代の作品は現代でもたいへん人気が高い。
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