玉楮象谷の詳しい説明と 買取
文化4年(1807年)10月4日、高松市外磨屋町で藤川理右衛門の長男として生まれた。
名は為造、通称は敬造、正直、祖父は藤川理左衛門といい、鞘塗師であった。
中国渡来の漆芸家の子孫、堆朱楊成の門弟。
父・藤川敬三も家業を継いでおり、象谷は父の指導の下で修練を重ね、彫刻を学ぶ。
若い頃から父のもとで鞘塗りを修業するかたわら鎌倉彫風の木彫や、彫漆の研究に専念した。
文政9年(1826年)20歳の頃、京都に遊学し、都の塗師や彫刻師、絵師、焼き物師など更にこれらの人々を通して歌人や学者との交友を広めた。
京都の貫名海屋、永樂保全、篠崎小竹や、阿部絹洲、宮本敬哉と親交した。
特に陶芸家として有名な永楽保全とは気が合い、保全の親友で大徳寺の高僧、大綱和尚にも大変気にいられていた。
保全、敬哉とは特に親しくなった。
唐の漆工家、張成の作品を元にして彫漆を研究し、存星、また新たに鮮やかな光沢の象谷塗(讃岐蒟醤)を生み出した。
また、東本願寺の雲華和尚の指導のもと、口添えで多くの神社仏閣にある古今東西の有名な美術工芸品等を自由に見る機会にも恵まれ、この間、書画はもとより、美術工芸のあらゆる分野にわたって接したことは後年の作品に強く影響するところがあったようだ。
しばらく大阪の山中という、当時外国貿易も行ない全国から屈指の名工達を集め、高級美術品の製作や、外国古美術の修理や写しをしていた商会へ入り、海外の珍らしい数々の作品に触れ、鑑識眼を高めるとともに更に腕をみがいた。
その間、中国の宋、元時代の堆朱、堆黒などの彫漆技法や、明時代の存清、南方渡来の蒟醤などのきゅう漆法を多面にわたって研究した。
文政13年(1830年)10月より松平頼恕に、次代松平頼胤、そして松平頼聰と代々仕えて、300余りの作品を創作し、名品を献上した。
1856(安政3)年頃、時の高松藩主、松平頼恕候に仕えその優れた技術が認められて30歳で、帯刀を許された。
さらに34歳の時に献上した犀角の印籠が大変すばらしい出来ばえであったことから「玉楮」の姓を賜わった。
その玉楮姓の由来は、中国宋代の名工が「玉」で三年かかって楮の葉の形の盆を作り皇帝に献上し、工人として召しかかえられたという故事から、玉の字と楮の字を続け玉楮とされたものと伝えられている。
嘉永年間にアメリカの黒船が寒川の志度浦を訪れたときに象谷作の大盆が艦長へ送られ、艦長は大いに感謝したといわれる。
明治2年(1869年)2月1日に死去、64歳。
讃岐国とその他諸藩の漆工技術、特に彫漆の発展に貢献し、香川漆器の基礎を築いたと広く知られている。
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