香川勝広の詳しい説明と 買取

1853年(嘉永6)江戸下谷生まれ。
本姓は稲川、通称は幸次郎、号は清了軒。
12歳で能面師・有吉吉長に木彫りを、柴田是真に絵画を、野村勝守に彫金を学ぶ。
1888年(明治21)、加納夏雄の門に入り更に修業。
師・加納夏雄譲りの堅実な片切彫りを基調としながらも、柔らか味みや渋さといった様々な味わいのある作品を残しており、金工作家でありながら煙管も作った。
1890年(明治23)、第3回内国勧業博覧会で妙技2等賞受賞。
1898年(明治31)、東京美術学校(現東京芸大)教授となる。
1903年(明治36)、宮内省より重量二十貫の銀花盛に金象嵌鳳凰の彫刻を拝命、わが国彫金界未曾有の大作として前代未聞の御賞詞を賜う。
1906年(明治39)に帝室技芸員に任命され、正八位に叙される。
明治工芸の特色のひとつに、宮内省型とも称される高価な材料を使って熟達した彫技の格式張った独特な作風があるが、勝広の代表作「和歌浦図額」「鳳凰高彫花盛器」「猿猴図額」「柿形合子」などは、その典型を示す。
夏雄風の堅実な片切彫りを基調としながらも、柔らかみや渋さといった様々な味わいの幅広い彫技を兼ね備えた、明治から大正時代を代表する彫金家。
大正6年(1917)1月15日死去、65歳。
代表作の「和歌浦図額」「鳳凰高彫花盛器」はいずれも宮内庁蔵で、「猿猴図額」は東京国立博物館蔵、「柿形合子」は東京芸大蔵である。

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