海野勝珉の詳しい説明と 買取
1844年、茨城県茨城郡水戸下市肴町に生まれる。
彫金家海野清の父で、幼名竹次郎または弥五郎、芳洲、藻税軒、貞月庵、旭東、東華斉などの別号もある。
金属の彫刻については叔父の海野美盛から学び始め、9歳の頃から水戸の金工萩谷勝平に師事し、次いで安達梅渓に書画を学ぶ。
その他にも、当時の水戸藩の彫金界の権威だった装剣金工家・萩谷勝平、および叔父初代海野美盛に彫金を学び、絵を安達梅渓に、書や漢籍を武庄次郎に学ぶ。
絵画や中国の書籍についても学び、当時としては高い教養を持っており、それを作品制作に活かした。
1871年(明治4)東京に移住し勝珉と改号、諸派の彫技を研究して一家をなした。
基平と名のっていたのは、横谷宗珉に勝る工人になろうと志したことによるらしい。
海野美盛に萩谷勝平を紹介され、萩谷勝平からも学んだ。
「勝珉」という名は萩谷勝平の「勝」と江戸時代の名彫金家・横谷宗珉の「珉」合せたものだと考えられているが、定かになっておらず、諸説がある。
明治元年に上京し、明治9年(1876)32歳のときに駒込千駄木町で工房を構え開業し、上京後は、加納夏雄に師事した。
海野勝珉が得意とする彫金の技術はもとは刀装具に施す技法であったが、明治政府の廃刀令により刀装具(特に刀の鍔)の制作ができなくなり、その後は金工彫刻に力を入れ制作活動を行った。
多くの刀装金工達が貿易用の欧米人好みにデザインされた花瓶、煙草箱、アクセサリーなどを作って生計を立てるようになった。
しかし、海野勝珉はそういったものにとらわれず、新しい時代の金属工芸の姿を真剣に模索し、芸術品、美術品としての彫金作品を手掛け、数多くの展覧会に出品し、その地位を築きあげた。
鋭角な刃先を持つ小刀のような鑿で金属を彫る片切彫を得意とし、象嵌の技法を使い、様々な金属の組み合わせて作る豊かな色彩表現が特徴。
色彩感のある金銀象眼と片切り彫りを得意とし、強健な鏨の力に優美さをもつ作風を示した。
金属面に江戸の花鳥画を彷彿させる絵画世界を描くのを得意とし、写実の中に優雅な趣をみせた作風で、明治彫金界の主流を成した。
度々国内で開催される博覧会に出展した作品は高い評価を受け、明治23年(1890)に、46歳のとき、第3回内国勧業博覧会では、雅楽の演者をモチーフにした「蘭陵王」を出展し妙技一等賞を受章。
その翌年には東京美術学校(現・東京芸術大学)の助教授に就任し、同じ大学の教授であり、当時彫金家としても活動していた加納夏雄に師事し、さらに腕を磨いた。
1894年には、東京美術学校の教授に就任し、学生へ技術指導を行った。
1915年に死去、72才。
代表作に「蘭陵王」「二名匠之碑」など。
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