楠部弥弌の詳しい説明と 買取
1897年京都市生まれで、本名は弥一。
京都市東山区で楠部貿易陶器工場を経営する父千之助と母とみの四男として誕生した。
幼少の頃より父親の仕事によって陶芸は常に身近なものであった。
彼の先祖は伊勢大神宮に収める神具や、祭器の専門職で陶物(すえもの・陶器)を作っていた。
明治維新後に京都の粟田焼が欧米に輸出されるようになったために、貿易商を営み始めたと言われている。
両親の意向もあり京都市立陶磁器試験場の伝習所として入所した。
京都市立陶磁器試験場では陶芸の技術を学び卒業後、本格的に創作陶芸の道に進んだ。
大正7年、京都粟田口の同年代作家の八木一艸、川村喜太郎などと、作陶家集団「赤土社」を結成。
因襲にとらわれない新たな作陶を目指して結成された「赤土」は「自然の美の奥深さを各自の愛を持って探求し、永遠に亡びざる美を、陶器なる芸術によって表現せんとする」という独自の発想により、当時閉鎖的だった陶芸界へ新風を巻き起こした。
芸術としての陶芸を追求する姿勢を明らかにし、精力的に作家活動を行い、韓国や中国などに渡り日本の伝統的な陶芸を芸術として追求していく。
中国、朝鮮や日本の伝統的な焼き物を深く研究し、幅広い表現が現代的感覚によって創作した。
その後、パリ万国博覧会では「百佛飾壷」という作品で受賞し、1926年の日本美術工芸展では、出品作「黒絵偏壷」が宮内庁が買い上げしてくれるなどの偉業を成し遂げて帝展、日展など数々の展示会で数多くの受賞を重ねる。
また、帝展、日展といった展覧会を中心に活躍しながらも、後進の指導に情熱を傾け、多くの陶芸家の育成に尽力した。
1962年、日本芸術院会員となり、1978年、文化勲章受賞。
作品は彩埏技法を用いたものがよく知られているが、この他にも染付や金彩、色絵の作品も数多く残されている。
中でも「彩埏」と名付けられた代表的な陶芸法があり、それを釉下彩磁と言う。
染付や辰砂、釉裏紅などがあり、釉薬の下の胎土に顔料で直接文様を描き、その上から透明の釉薬を掛けて焼き上げる技法で、染付や釉裏紅、辰砂などがある。
文様をあわくうき立たせた草花をモチーフとして優しく美しくモダンな印象の品がある。
作品としては香炉、飾り皿や花瓶などを数多く制作し高い評価を受けている。
楠部彌弌の生み出した彩埏では、釉に固有の色を出させるための呈色剤を混ぜた磁器土を、水を加えて軟らかくし、何度も薄く塗り重ねて、浮き彫り風にして文様を出す。
多技多彩な作風で、京焼の伝統を踏まえた色絵は優美と言われる。
晩年は彩埏に一層の洗練を加え、1977年パリ装飾美術館で「日本の美・彩埏の至芸楠部彌弌展」が開催された。
1984年京都で死去、87歳。
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