樂吉左衛門の詳しい説明と 買取
千家十職の一つ。
楽焼の茶碗を作る茶碗師の樂家が代々襲名している名跡。
桃山時代の長次郎から始まり、当代は十六代。
楽焼は、桃山時代の天正年間(1573年~1592年)に千利休の指導を受けて瓦師長次郎が始めた製陶法で、「一樂、二萩、三唐津」と謳われるように茶陶の分野において最高の評価を受けている。
主として茶碗が多く、ロクロを使わず手捏や型造で形を作り素焼きする軟陶質の焼物である。
黒楽・赤楽は素焼きにそれぞれ黒釉・赤釉を塗り重ねて焼いたもので、他に白楽や交趾釉と同様の緑釉・鉄釉を施したもの、素焼きのものなどがある。
製作工程はただ一人で行なわれ、楽焼が初代から十六代まで楽家一軒によって伝承されてきた。
樂家以外の窯は脇窯(玉水焼・大樋焼・小川長楽など)と呼ばれ、本阿弥光悦の楽焼茶碗などもこれに含まれる。
樂家初代の長次郎は、楽焼の創設者である中国出身の父をもち、樂家の代名詞ともなる黒釉をかけた茶碗の作製において非常に優れた技量を見せた。
長次郎茶碗の特色は、装飾性、造形的な動きや変化、あるいは個性的な表現を可能な限り捨象、重厚で深い存在感を表わしている。
二代常慶が初めて吉左衛門を名乗る。
織部好みの大降りでゆがみのある沓茶碗や、土見せ高台等の新しい作行を積極的に取り入れている。
赤黒の二釉に加えて「香炉釉」と呼ばれる白釉を創案し使用し始める。
本阿弥光悦と深い交流があり江戸幕府との関係は良好で、芝・増上寺の徳川秀忠の墓には常慶作の香炉が埋葬されていた。
三代樂吉左衛門(道入)以降の各当主には隠居した際、「入」の字を含む入道号が贈られており、 後世にはその名前で呼ばれる事が多い。
「ノンコウ」または「ノンカウ」とも言われる楽焼の名人で、樂家の釉薬の技法を完成させたとまで言われている。
初代・二代とは異なる朱色や黄色等の多数の釉薬を用いる明るい作風が特徴。
また長次郎以外では唯一吉左衛門を名乗らず、吉兵衛と名乗った。
四代一入は 初代長次郎を模範としつつ、父の技法を取り入れ、地味な色調の中に光沢を持つ作風が特徴。
黒釉に朱色の釉薬が混ざり合う鮮やかな「朱釉」を完成させる。
五代宗入は尾形光琳や乾山の従兄弟で、長次郎の作風に深く傾倒し、錆びた鉄肌のような「カセ釉」を創案、ノンコウにおいて得た滑らかな黒釉は再び光沢を失った。
モダンな装飾は消され、茶碗の寸法も小さくなり、重厚な存在感が感じられる。
六代左入は「光悦写し」の茶碗に定評があり、表千家社中に配られた代表作に「左入二百茶碗」がある。
七代長入は元文3年(1738)、長次郎百五十回忌に赤樂茶碗を150碗制作している。
茶碗は厚手で量感が感じられる大らかな作行が特徴。
樂家の中でも作陶生活が長く、茶碗以外にも香合や花入れなど多数の作品を制作し、細工物に関しては歴代随一とされる。
八代得入は病弱で、父の助けを受けて作陶を行うが30歳で早世。
寛政10年(1798)、二十五回忌の時に「得入」と賜号され、正式に歴代の中に入る。
歴代の中でも最も作品が少ないが、黒樂茶碗に玉を三つ彫って金彩を施した「玉の絵黒茶碗」は有名で、
「得入の得(徳)玉」と縁起を担いで珍重されている。
九代了入は安永年間(1772~81)に赤黒樂茶碗を200碗制作している。
寛政元年(1789)、長次郎二百回忌には赤樂茶碗を200碗制作する。
「三代以来の名工」とされ、へら削りの巧みな造形に特徴がある。
文政元年(1818)、赤黒樂茶碗を50碗制作し、了々斎より「翫土軒」の額を授かって号とした。
文政2年(1819)、旦入と紀州徳川家御庭焼に従事する。
文政8年(1825)、近江国石山に隠居し、悠々自適の生涯を送る。
古希を記念して赤黒樂茶碗を70碗制作している。
十代旦入は文政2年(1819)、表千家九代了々斎と共に紀州徳川家に伺候、御庭焼の「偕楽園窯」開設に貢献する。
その後「西の丸お庭焼き」「湊御殿清寧軒窯」などの開設にも貢献した。
天保9年(1838)、長次郎二百五十回忌に黒樂茶碗を250碗制作している。
作風は織部焼、伊賀焼、瀬戸焼などの作風や意匠を取り入れ、技巧的で華やかとされる。
十一代慶入は嘉永7年(1854)、御所炎上で類焼したが、3年後には樂家を新築する。
安政3年(1856)、西本願寺御庭焼(露山窯)に従事。
明治23年には長次郎三百回忌の茶会を催す。
明治維新後の茶道低迷期の中、旧大名家の華族に作品を納めるなど家業維持に貢献した。
十二代弘入は明治23年、長次郎三百回忌に赤樂茶碗を300碗制作している。
茶道衰退期のため若いときの作品は少なく、晩年になって多数の作品を制作する。
大胆なへら使いで黒樂の幕釉を得意とする。
隠居後は京都本邸と九代の別荘であった滋賀県石山を往復し、優雅な晩年を送った。
十三代惺入は歴代中最も熱心に釉薬や技法の研究を行い、また、樂家家伝の研究を行う。
昭和10年〜昭和17年にそれらの研究結果を雑誌「茶道せゝらぎ」を刊行して発表する。
昭和16年(1941)に長次郎三百五十回忌を催す。
晩年に太平洋戦争が勃発し、跡継ぎである長男も応召され、
物資不足の中で研究も作陶も困難となり、閉塞する中没した。
十四代覚入は昭和15年、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科卒業後、召集され従軍。
終戦後生還したが、前年に父が死去し、茶道も低迷期を迎える。
昭和35年以降好景気となり、作品が充実するようになり、他代には見られない、彫刻の理論を生かした立体的造形が特徴。
昭和51年、無形文化財保持者に認定される。
昭和53年、樂家歴代史料を基に「財団法人樂美術館」を設立する。
十五代直入は京都府立朱雀高等学校、東京芸術大学彫刻科卒業後、昭和48年にイタリアローマ・アカデミア留学。
昭和56年11月に十五代樂吉左衛門を襲名する。
昭和62年日本陶磁協会賞を受賞、平成12年フランス政府より芸術文化勲章・シュヴァリエを受章。
平成13年京都府文化賞功労賞を受賞、平成19年京都市文化功労賞を受賞。
滋賀県守山市の佐川美術館に「樂吉左衛門館」を新設。
「焼貫」の技法を駆使した大胆な箆削りによる前衛的な作風を確立し、日本国内外で数々の賞を受賞しており、「陶芸作家」としての評価も高い。
当代の十六代樂吉左衛門は昭和56年、直入の長男として生まれる。
平成20年に東京造形大学彫刻科を卒業。
平成21年京都市伝統産業技術者研修・陶磁器コース終了後イギリス留学。
平成23年樂家にて作陶に入り、父より惣吉の花印を授かる。
令和元年に十六代樂吉左衞門を襲名する。
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