正阿弥勝義の主な出来事や金工作品の年表と 買取
1832年(天保3)岡山県津山二階町に住む津山藩お抱えの彫金師・中川五右衛門勝継の三男として生まれる。
幼名は淳蔵、勝義は工名。
幼い頃から父に彫金を学び、江戸出府の方便として津山藩先手鉄砲隊小山家の継嗣となり、
江戸の彫金家に弟子入りを試みますが果たせず、江戸から帰郷後、小山家との養子関係を解消。
1850年 18歳で岡山藩御抱え彫金師・正阿弥家の養子となり9代目を襲名する。
養子入り後は、江戸幕府お抱えの彫金家・後藤家の門人で、
自身も江戸幕府及び朝廷の御用職人を務めていた実兄・中川一匠や、その師・後藤一乗から手紙で下絵や脂型、
或いは相互に作品を遣り取りして指導を受ける。
元来、正阿弥家は藩主の注文で刀装具を作り、
経済的には安定していましたが明治維新後の廃藩置県で
岡山藩との雇用が解かれたことによって生活の保障がなくなる。
更に廃刀令により刀装具の仕事も無くなり、多くの彫金家たちが廃業する中、
勝義はその技術を生かして新たに花瓶や香炉などの室内装飾品や彫像などの美術工芸品、
茶器などを制作し始める。
1878年(明治11)職人30余名で輸出産業を起こし、
神戸の貿易商・丸越組の濱田篤三郎の紹介でイギリス商人と売買契約を結ぶ。
悪徳商人による粗製偽物が出たため輸出をすぐに中止し、職人を少数に絞った美術工芸制作に専念する。
イギリスから大衝立の注文を受け、
加納夏雄・海野勝珉の十二支図案で、勝義の金工彫、逸見東洋の木工など、当代随一の工芸家達と、
3年がかりで作り上げ納品する。
この作品は、現在ボストン美術館が所蔵している。
順調な制作活動を続け、その後は国内、海外を問わず精力的に博覧会や美術展に出品し、
各地で高い評価を受けた。
1899年(明治32)67歳に入ると美術研究のため京都へ引っ越す。
京の伝統文化は勝義の才能を更に昇華させ、多くの秀作を京都移住後から死去までの10年間に制作。
1908年(明治41)脳卒中により京都で逝去。享年77歳。
非常に真面目で几帳面、筆まめだったことでも知られている。
正阿弥の作風は「超絶技巧」というべき高い技を誇り「精緻な彫金」「高い写実力」「質感表現」
「多様な金属による色数の多さ」「光沢の美しさ」は、技術レベルが高い明治期の彫金師の中でも群を抜いている。
また刀装具出身の金工家らしく、鉄の錆地の美しさの表現にも特徴がある。
一方で見る者の意表を突き想像を掻き立てる遊び心や、物事の一瞬を捉えた粋な趣向を盛り込み、複数の意匠を取り入れ対比させること等でも、緊張感や物語性を生み出している。
現在、海外流出を確認されている作品は150点ほどで、小品や刀装具を含めればその2倍以上あると見られる。
国内で、勝義の金工作品を所蔵する主な施設としては、東京国立博物館、京都国立近代美術館、清水三年坂美術館、野崎家塩業歴史館、林原美術館、岡山県立博物館、岡山県立美術館、倉敷市立美術館など。
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