海野勝珉の主な出来事や金工作品の年表と 買取
弘化元年(1844)茨城郡水戸下市肴町(水戸)に伝右衛門の四男として生まれる。
嘉永6年 (1853)叔父で水戸藩士だった初代・海野美盛や萩谷勝平に彫金を学ぶ。
更に美盛の紹介で、
当時水戸彫金界の泰斗だった同藩士・萩谷勝平から金属工芸の諸技術を収めて、
基平と名乗った。
明治元年(1868)江戸へ移る。
明治4年 (1871)勝珉と改名。
「勝珉」の名は、師・萩谷勝平の「勝」と
江戸時代の名彫金家・横谷宗珉の「珉」を合わせ後に名乗ったものと考えられる。
また水戸時代には、安達梅渓に絵を、武庄次郎に漢籍も学び、高い教養も身につけている。
明治9年 (1876)駒込千駄木町で開業した。
明治維新を迎え、廃刀令が出されるとその需要は減っていき、装剣金具の製作は断念。
新しい時代の金属工芸の姿を真剣に模索し、芸術品、美術品としての彫金作品を手掛けた。
明治10年(1877)第1回内国勧業博覧会に出品し受賞。
明治14年(1881)第2回内国勧業博覧会で褒状。その力量を認められる。
明治23年(1890)第3回内国勧業博覧会に出品した「蘭陵王置物」で妙技一等賞受賞し名声を得る。
明治24年(1891)「東京美術学校」助教授に就任。
先達で同校教授だった加納夏雄に師事し更なる研鑽を積む。
明治27年(1894)「東京美術学校」の教授に就任。
明治28年(1895)第4回内国勧業博覧会では審査員。
明治29年(1896)6月30日帝室技芸員を拝命。
明治38年(1905)勲六等瑞宝章を受章。
大正4年(1915年)10月6日逝去。92歳。逝去後は、従四位勲四等に叙せられた。
加納と同じく、鋭角な刃先を持つ小刀のような鑿で金属を彫る片切彫を得意とした。
また象嵌にも優れ、多種の金属を組み合わせる事で豊かな色彩表現を可能としている。
親族
叔父 海野美盛 (初代)(彫金家)
弟 海野盛寿(彫金家)
三男 海野清(日本芸術院会員、人間国宝)
甥 海野美盛 (2代目)(彫金家)
甥の息子 海野建夫(彫金家)
甥の甥 飛田周山(日本画家)
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