森狙仙 買取
森狙仙の画風は、森徹山を養子に迎え、森寛斎に伝えられ「森派」と呼ばれるようになりました。
森狙仙の殆どの作品は、動物画で、特に体毛の質感や擬人化された猿画は、高価買取させて頂きます。
日本一、歴史ある
京都祇園骨董街にあります。
京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。
京都祇園で小売販売している
老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。
世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、
愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。
買取依頼のお客様に納得して頂くことを
第一と考えております。
ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。
森狙仙の作品ー査定・買取ポイントのアドバイス
森狙仙(もり そせん)・特徴と技法
1747年(寛延元)~1821年(文政4)75才没。
絵師 の森如閑斎という絵師の三男として生まれた、大阪を中心に活動した江戸時代後期の絵師。
通称は八兵衛、名は守象、号 は祖仙。狩野派や円山応挙などの影響を受けながら独自の 画風 を追求。
数年に渡って野生の猿を観察し、納得がいくまで数千枚の写生画を描き、やがて、円山応挙に才能を見出され、援助を受け、知名度を得る。
沈南蘋 や円山応挙の影響を受けて 写実 を重視するようになり、猿画を得意とし、猿画の名手として評判が高くなる。
他にも鹿・狸・猫・虎などの 動物画 にも秀逸なものが少なくなく、反面、山水画 や 人物画 は殆ど無い。
とりわけ得意とした猿画では、猿の毛を一本一本丁寧に描き、獣毛の柔らかさをみごとに表現しました。
還暦を迎えた1807年(文化4年)にそれまで「祖仙」としていた号を「狙仙」と改める。動物 画家 としての自信か。
文化11年1814年(申年)には柿本神社に 絵馬 を奉納する。
兄に、森陽信、森周峯がいる。大阪で祖仙の活動に協力した。
円山応挙の 弟子 だった森徹山を養子に迎え、1821年(文政4年)大阪で没した。
森狙仙の死後、徹山は応挙と狙仙の 技法 を受け継ぎ、養子の森寛斎に伝えます。
森狙仙(祖仙)の画風は「森派」と呼ばれるようになりました。
森狙仙の代表作品には、「樹下双鹿図 屏風」「雪中三獣図」「墨馬図屏風」「秋山遊猿図」「梅花猿猴図」等々。
森狙仙の作品 画風と買取価格のワンポイント
著名な作家の円山応挙や沈南蘋、また長崎に移り、オランダ人の西洋画の写実を学び、猿画の名手となる。
森狙仙の殆どの作品は、動物画で、特に体毛の質感や擬人化された猿画は、高価買取させて頂きます。
絵画は簡単な作品から時間をかけた力作があり、また 図柄 や種類によって買取価格は変動します。
若年 の作品よりも、独自の境地を築いた晩年の 名品 が高価買取対象です。
江戸時代の当時から人気があり、贋物 も多く出回っております。
森狙仙の作品をお持ちのお客様、お気軽にご相談ください。
森狙仙の作品の場合は、購入された時から入っている箱(共箱)は大切な箱で、共箱には森狙仙の自筆のサインと 落款 が押されています。共箱は、保証書も兼ねており、有る・無しで、買取価格は大きく変動します。
シミや汚れがある場合でも、現状のままお持ちください。
鑑定書 の有無に関わらず、まず当店で無料の 真贋 の判断やアドバイスをさせて頂きますので、お電話でご相談ください。
一般的に絵画の 鑑定 は、美術俱楽部やそれぞれの指定された 鑑定機関 で行われており、その場合、真贋を問うだけで、約3万円~5万円かかり、有料です。
【所定鑑定人・鑑定機関】
森狙仙の場合、鑑定機関はありません。
当店では高額な作品も扱っております、一例ですがご覧ください。
お買取りさせて頂いた作品は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。
森狙仙をはじめ買取させていただいた作家の作品も数多くあります、是非ご覧ください。
当店には森狙仙の愛好家やコレクターのお客様もおられ、新しい作品の入荷をお待ちです。
森狙仙の作品をお持ちのお客様は、お気軽にご相談頂ければ適切なアドバイスをさせて頂きますので、是非お問い合わせ下さい。
森狙仙の買取実績と買取価格の解説
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森狙仙の代表的な猿画です。森狙仙の作品は人気があり、入荷をお待ちの愛好家のお客様もおられ、売却をお考えのお客様お気軽にご相談下さいませ。
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2頭の猿が梅の花に戯れている図で、面白い図柄なので紹介させて頂きます。古美術やかたでは相場価格に関係無く、森狙仙の作品の入荷をお待ちのお客様も多くおられます。
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森狙仙の中でも猿をモチーフにした「蜂猴之図」です。古美術やかたでは相場価格に関係無く、森狙仙の作品の入荷をお待ちのお客様も多くおられます。
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森狙仙の猿の図は、よく見られますが、このような表情豊かな作品は人気があります。古美術やかた にも森狙仙の作品の入荷をお待ちの愛好家のお客様がおられます。売却をお考えのお客様、お気軽にご相談下さいませ。
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日本画(絵画) 掛け軸・掛軸 骨董品 出張買取
お客様に拝見させて頂いた日本画の森祖仙の掛軸を紹介させて頂きます。
紹介作品
古美術やかたの店内写真
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メディア紹介 MEDIA
- NHK国際放送で世界に紹介されました。英語版【動画】
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- BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」で紹介され、中村雅俊さんご来店【動画】
- NHK京いちにち「京のええとこ連れてって」取材【動画】
- 『京都新聞』とKBS京都で鴨東まちなか美術館を紹介頂きました。
- 『和楽』7月号 樋口可南子さんがお店へ!!
- 『婦人画報』2012年5月号
- 『樋口可南子の古寺散歩』(5月17日発行)
- NHK「趣味Do楽」とよた真帆さんご来店!【動画】
- NHK『美の壺』(4月24日放送)
- 『和楽』10月号
- 『Hanako 京都案内』
- 『FIGARO japon』12月号
- 『mr partner』2011年2月号
- 2009年11月 『週刊現代』2009年11月28日号
- 『Hanako WEST』4月号
- 『骨董古美術の愉しみ方』(4月16日発行)
- 『近代盆栽』9月号
- 『Hanako WEST』11月号
- 『ORANGE travel』2006年 SUMMER
- 『婦人画報』2004年9月号
- 国際交流サービス協会に2017年6月7日紹介頂きました。
- 『Grazia』6月号
- 『VISIO ビジオ・モノ』5月号
- 『Hanako WEST』4月号
- 『gli』11月号
- オレンジページムック『インテリア』No.23
- 『MORE』12月号
- 『花時間』7月号
- 『東京育ちの京都案内』麻生圭子著 文芸春秋刊
- 『私のアンティーク』
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森狙仙 略歴
747年(寛延元年)、絵師 の森如閑斎という絵師の三男として生まれる。
号は祖仙、如寒斎、霊明庵など、兄は、森陽信、森周峯。
出生地については大阪説、西宮説、長崎説があるが、いずれにしても大阪を中心に活動した。
はじめ、勝部如春斎について狩野派の技術を学び、如寒斎と号した。
1784年(天明4年)師の如春斎が没する。
この頃から、沈南蘋や円山応挙の影響を受けて 画風 を変え、写実 を重視するようになり、猿画の名手として評判が高くなる。
1788年(天明8年)成立とされる大田南畝『巴人集拾遺』に、「徂仙猿画」という狂詩が掲載されている。
1807年(文化4年)、還暦を迎え、「祖仙」としていた 号を「狙仙」と改めた。
1802年に刊行された莚破居士著「浪華なまり」に紹介された。
1814年(文化11年)に、柿本神社に 絵馬 を奉納する。
1821年(文政4年)、大阪で没した。
次兄である森周峯の子であり、円山応挙の高弟でもあった森徹山を養子に迎えた。
徹山の後には森一鳳、森寛斎が続き、森派と称される。
弟子 に森春渓、中殿暁園など。
なお、森狙仙の生涯については残された資料が少なく、かなりの部分が不明である。
また、国の 重要文化財 以上の指定を受けている作品も無い。
晩年に「雨中桜五匹猿図」が、2005年の切手趣味週間にちなむ80円郵便切手の図案に採用された。
残されている作品のうち、9割以上が猿の絵で、猿画が一番の得意画である。
柔らかな体毛の質感を表現する技術、個々の猿の生き生きとした表情やユーモラスな仕草を描く構成力、巧妙な擬人化による親しみやすさなどが、狙仙の特長として挙げられる。
山水画 や 人物画 は殆ど無く、他にも、鹿・狸・猫・虎などの 動物画 にも秀逸なものも多い。
森狙仙の主な出来事や作品の年表
1747年 絵師の森如閑斎という 絵師 の三男として生まれる。
1784年 沈南蘋や著名な作家の円山応挙の影響を受けて画風を変え、写実 を重視するようになり、猿画の名手として評判が高くなる
1788年 大田南畝『巴人集拾遺』に「徂仙猿画」という狂詩が掲載された
1802年 莚破居士著『浪華なまり』に紹介される
1807年 号を祖仙から狙仙と改める
1814年 柿本神社に 絵馬 を奉納。
晩年に森徹山を養子に迎え、徹山の後に森一鳳、森寛斎が続き、弟子 に森春渓、中殿暁園等がおられ、森派と称される。
1821年 大阪で没。
狙仙の 画風 は、擬人化した猿や鹿のユーモラスな姿態を、他の追随を許さない精細克明な毛描のうちに表現するのが大きな特徴である。
柔らかな体毛の質感や、個々の猿の生き生きとした表情、ユーモラスな仕草を、巧妙な擬人化による親しみやすさをあますことなく表現している。
洒脱性と 技巧 性の近代的な融合と言える。
知人から生け捕りして猿をもらい、庭木につないで仕草や表情を スケッチ し、猿画に習熟したとされる。
しかしながらある猟師に、「野生の猿はこんな仕草はしない」と言われ、自然そのままの猿をどうしても描きたい衝動に駆られ、野猿が多く生息している山に籠る事を決意をした。
数年に渡って野生の猿を観察し、納得がいくまで数千枚の写生画を描いたという伝説がある。
代表作品には『雪中獣禽図襖』(京都・広誠院)、『秋山遊鹿図』(東京国立博物館)などがある。
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