円山応挙 買取

円山応挙は、写実性と日本の伝統的な装飾画様式を融合し、写生的要素を巧みに融合した独自の様式を創造しました。
応挙の画風上の特色としては、近世の日本の画家のなかで際立って「写生」を重視していたことです。
円山応挙の洗練された様式美の作品は、屏風絵等の大作なら買取価格も数百万円を超える作品もあります。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

円山応挙の作品ー査定・買取ポイントのアドバイス

円山応挙(まるやま おおきょ)・特徴と技法

円山応挙買取

秋紅寿帯鳥 刀豆白鵞 雙幅

1733(享保18)~1795(寛政7)63才没。

江戸後期の 画家円山派の祖です。
丹波(現京都府亀岡市曽我部町穴太)の農家の次男として生まれました。
字は僊斎・仲選、 は一嘯・夏雲・仙嶺など、様々用いましたが、応挙と名を改めてからは 落款 は応挙で通しました。
都に奉公に出されました。呉服屋での仕事を経て、尾張屋という玩具商に引き取られることになります。
本格的に絵画を学ぶようになり、狩野派の画家・石田幽汀に 弟子 入りし、修行を始めた。
この頃、尾張屋中島勘兵衛という玩具商に勤め、でオランダ渡来の眼鏡絵を見て、宝暦9年(1759年)頃、「四条河原遊涼図」、「円山座敷図」、「三十三間堂図」など京都風景の眼鏡絵も制作した。
このような事が幸いしたのか、のちに、西洋画 の透視図法や陰影法を学んでいきます。
30代になると円満院の僧・祐常や呉服商の三井家の庇護のもと絵画理論を深め、明和3年から応挙を名乗り始める。
全体としては琳派を思わせるような装飾性豊かな大画面をつくり出すことに成功している。
卓越した画技と平明で親しみやすい画風から、応挙画は三井家をはじめとする富裕な町人層に好まれた。

30歳代初め写実主義の新進画家として活躍し始め「淀川両岸図巻」「難福図巻」等を制作。
40歳代には写生画法と装飾画法を総合、優雅な品格の「雨竹風竹図屛風」「藤花図 屏風」等を制作。
晩年には「雪松図屛風」や大乗寺・金剛寺・金刀比羅宮等の障壁画、「保津川図屛風」等を制作。
足のない幽霊を描き始めた 画家 とも言われております。
日本や中国の 古画、西洋画から主題、画面形式、技法 などを取り入れ、写生への強い関心と装飾性を融合させた新しい 画風 を確立させました。

円山応挙といえば第一に挙げられるのが写生を重視したその 画風 です。
常に写生帖を持ち歩き、暇を見つけては スケッチ を繰り返し、非常に観察力に優れていました。
東京国立博物館蔵の写生帖や現存する花鳥写生図巻には、昆虫や植物、動物の多くの写生画が残されています。
実際の物を、空間や遠近、質感を利用して、リアリティに表現した写生画の 日本画 を切り開いたのが円山応挙です。
その画風は、弟子 たちの活躍によって「円山 四条派」と呼ばれ、呉春や森徹山、長沢蘆雪、源琦など 著名弟子 がおります。
円山応挙の代表作には、「保津川図屛風」「雪松図屛風」「孔雀図」「深山大沢図屏風」「四季遊戯図」。

円山応挙の作品  画風と買取価格のワンポイント

円山応挙買取

秋紅寿帯鳥 刀豆白鵞 雙幅

円山応挙の作品は、小品でも高価買取致します。
出品作品や図録に乗っている逸品は、買取価格も数百万円を超える作品もあります。

 
絵画は簡単な作品から時間をかけた力作があり、また 図柄 や種類によって買取価格は変動します。
若年 の作品よりも、独自の境地を築いた晩年名品 が高価買取対象です。

 

 
1733 (亨保十八年) 丹波国、現、京都府亀岡市曽我部町穴太の農家円山藤左衛門の次男として生まれる。
1747 (延亨四年) 京都にでて呉服屋の小僧や、玩具商で人形の彩色をしたという説あり。
1749 (寛延二年) 1この頃尾張屋のすすめで狩野派の画家石田幽汀について絵を学ぶ、古画模写 をする。
1759 (宝暦九年)  眼鏡絵の製作に携わるか。
1765 (明和二年) この頃、円満院門主祐常との親交はじまり、応挙の円満院時代始まる。
1765 (明和二年) 「付立て」の筆法を完成「雪松図」描く
1766 (明和三年) 息子応端誕生、この頃、名を「応挙」とを改名。
三井家や園城寺円満院の祐常門主の援助を受ける。
1787 (天明七年) 妙法院真仁法親王の寵遇を受けるなど 絵師 として多大な成功を収める。
1788 (天明八年) 京都で天明の大火。
1795 (寛政七年) 没。法名は円誉無之一居士。
 

 

円山応挙の作品をお持ちのお客様、お気軽にご相談ください。

掛軸 の場合は、購入された時から入っている箱(共箱)は大切な箱で、共箱には円山応挙の自筆のサインと 落款 が押されています。
共箱は、保証書も兼ねており、有る・無しで、買取価格は大きく変動します。
額装 の場合は、共シール が大切な評価基準になります。
共シールとは、一般的に、名刺大で、作品の裏側に貼られており、円山応挙の直筆のサインと題名が書かれ、落款が押されています。

シミや汚れがある場合でも、現状のままお持ちください。

鑑定書 の有無に関わらず、まず当店で無料の 真贋 の判断やアドバイスをさせて頂きますので、お電話でご相談ください。
一般的に絵画の 鑑定 は、美術俱楽部やそれぞれの指定された 鑑定機関 で行われており、その場合、真贋を問うだけで、約3万円~5万円かかり、有料です。

【所定鑑定人・鑑定機関

円山応挙の場合、鑑定機関はありません。

当店では高額な作品も扱っております、一例ですがご覧ください。
お買取りさせて頂いた作品は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。

円山応挙をはじめ買取させていただいた作家の作品も数多くあります、是非ご覧ください。

当店には円山応挙の愛好家やコレクターのお客様もおられ、新しい作品の入荷をお待ちです。
円山応挙の作品をお持ちのお客様は、お気軽にご相談頂ければ適切なアドバイスをさせて頂きますので、是非お問い合わせ下さい。

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円山応挙 略歴

円山応挙買取

狗子図

1733年(享保18年)、丹波国桑田郡穴太村(現京都府亀岡市)の農家の次男として生まれる。
幼年から地元の寺、金剛寺に預けられ小僧として生活をし、その頃から絵を好んだといわれている。
同寺の住職が亡き後、応挙15歳で上洛し玩具商「尾張屋」に奉公する。
尾張屋での仕事の内容は人形制作や彩色、眼鏡絵などを描くことであり、この頃に身につけた多く技術が、後に 絵師 として確立するに基点となる要因となった。
応挙の画才を見いだした尾張屋の中島勘兵衛の計らいにより、1749年、応挙17歳の頃から狩野派の絵師、石田幽汀に 入門 し狩野派様式や花鳥画などを学ぶ。
また、当時流行した眼鏡絵の制作に携わったことにより、西欧の遠近法や陰影法の基礎を身につけた。
その後自然の写生に専念し、従来の 日本画 にはなかった遠近法などを取り入れた写生画を創出した。
円山応挙の作品の特徴といえば第一に挙げられるのが「写生」を重視した 画風 である。
応挙は非常に観察力に優れており、常に写生帖を携え、対象への観察として暇さえあれば余念なく スケッチ を行っていたようで、画帖には多くの植物、蝶や昆虫などが残されている。
東京国立博物館蔵に保管されている「写生帖」や、昆虫や植物、動物などが色々な角度から描写されている「花鳥写生図巻」などが残されている。
こうした写生技術を基礎として磨きつつ、伝統 的な 日本画 の画題を扱って、装飾性あふれる美しい画面を創りあげている点が応挙の特色である。
裸形着衣法、そして付立て、片ぼかしなど没骨法の 技法 を駆使し、対象の形態的特長を的確に捉え精細に表現する写生画様式を確立した。
1765年に手がけた「雪松図」で応挙独自の写生画様式を確立させ、翌1766年(明和3)から「応挙」と改名。
同時期に円満院門主祐常との関係がはじまり、寵恩を得ながら 絵師 として技術をさらに昇華させ次々と作品を手がけていき、その卓越した 画風 はさまざまな階層の人々より傑出した人気を博した。
応挙の名を用いはじめてからは、なめらかな描線による装飾的要素と、写生的要素を巧みに融合した独自の平明な応挙様式を創造した。
1786年(天明6年)54歳の時、兼ねてより親交のあった愚海和尚が入院した串本無量寺の再建成就の祝いに「波上群仙図」や「山水図」等障壁画12面を描き、弟子 芦雪を名代として京から南紀に向かわせた。
その後も、絵師として多大な成功を収め、寛政7年63歳で没するまで精力的に障壁画や 屏風 等の大画面作品を描き続けた。
狩野派 特有の鋭い筆致と破墨風の筆さばきをみせる墨画や、洋風画の影響を受けた作品を残している。
保守的で形式主義的な狩野派の低迷も手伝い、当代随一の人気絵師として絵画界に君臨し、古典や 中国画狩野派 など伝統 的な様式は元より、光琳を始めとした 琳派 など当時流行していた作風を研究・積極的に自身の様式へと昇華させ、人気 絵師 となった。
江戸時代中期に活躍した代表的な 絵師円山派の祖であり、同時に近代日本画の祖、写生画の祖ともいわれる。
高名であった応挙には 弟子 も多く、門人には呉春や長沢蘆雪、森徹山、源琦、渡辺南岳などがいる。
特に山水、花鳥、人物など多彩な題材を巧妙に描き分け、襖絵、屏風 など大作に傑作が多い。
代表作に、園城寺円満院蔵の「岩頭飛雁図」「七難七福図巻」「雨竹風竹図屏風」「昆虫写生帖」「雪松図 屏風
「郭子儀図」「保津川図屏風」「孔雀図」「深山大沢図 屏風」「四季遊戯図」などがある。

円山応挙の主な出来事や作品の年表

1733(享保18年) 丹波国穴太村に生まれる。幼い頃に小僧として金剛地に預けられるものの絵に強い興味を示す。
1747(延享4年) 玩具商「尾張屋」で人形制作や彩色などを手がけるという。
1749(寛延2年) この頃、絵師石田幽汀の門に入る。同氏の許で狩野派様式や 花鳥画 などを学ぶ。【円山岩次郎】の署名。
1755(宝暦5年) この頃、【氏】【一嘯】の署名。
1759(宝暦9年) この頃、当時流行していた「眼鏡絵」の制作に携わる。【夏雲】【主水】の署名。
1765(明和2年) 『雪松図』で応挙独自の写生画様式を確立する。この頃より、【仙嶺】を使用。
1766(明和3年) この頃、名を「応挙」と改名。
この時期、応挙の重要な支援者となる円満院門主祐常と出会ったことで速写(スケッチ)に開眼、絵師 としての素養や技術をさらに昇華させてゆく。
その後、裕福な呉服商であった三井家などの庇護を受けながら次々と作品を手がけ、京画壇の中でも傑出した人気を博すようになった。
1768(明和5年) 「平安人物志」画家 部に記載。京都四条麩屋町に住む。
1782(天明2年) 「平安人物志」に画家部の筆頭に掲載。
1783(天明3年) 「平安人物志」に 画家 部の筆頭に掲載。
1784(天明4年) 「愛知明眼院」の障壁画を描く(現・東京国立博物館応挙館)。この頃より、源姓を名乗る。
1786(天明6年) 《波上群仙図》襖、《山水図》等を長沢芦雪に托し無量寺再建を祝って愚海和尚に贈る。
1787(天明7年) 南禅寺帰雲院障壁画を描く。妙法院真仁法親王の寵遇を受けるなど 絵師 として多大な成功を収める。
1788(天明8年) 天明の大火に遭い、喜雲寺に避難、呉春と同居する。
1790(寛政2年) 晩年に御所造営に際し一門を率いて障壁画を制作する。
1791(寛政3年) 東本願寺岐阜別院の障壁画を描く。現・東本願寺桜下亭のために描く。
1793(寛政5年) 老衰のため眼病を患い歩行視力衰い、歩行が不自由になる。
1795(寛政7年) 没。

 

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