土佐光起 買取
土佐光起は、戦国末期の家系断絶以後、失権した宮廷画事を十七世紀半復権した土佐派の中興の祖です。
日本の伝統的な絵画様式を伝承し、狩野派や宋元画を取り入れ、土佐光起は近世やまと絵の神髄を築いた画家。
日本一、歴史ある
京都祇園骨董街にあります。
京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。
京都祇園で小売販売している
老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。
世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、
愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。
買取依頼のお客様に納得して頂くことを
第一と考えております。
ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。
土佐光起の作品ー査定・買取ポイントのアドバイス
土佐光起(とさ みつおき)・特徴と技法
1617年(元和3)~1691年(元禄4)75才没。
大阪堺生まれで土佐光則の子、幼名は藤満。江戸前期の 土佐派 の 画家。
寛永11(1634)年父光則に従って京都に移住。1634年(寛永11)父とともに京都に移住。
室町末期の家系断絶以後、途絶えていた土佐家の宮廷の絵所でしたが、1654年38歳のとき、宮廷の絵所預に任じられ、宿願でもあった土佐家再興を果たした。
江戸時代の土佐様式をつくりあげ「土佐派中興の祖」とも呼ばれている。
その 画風 は日本の 伝統 的な絵画様式「やまと絵」の濃厚な彩色を捨て、狩野派や宋元画を取り入れ軽みのある美しい装飾美に溢れたものでした。
中国南宋の宮廷 画家 たちが得意とした 緻密 かつ 写実的 な 花鳥画 なども得意とした。
羽毛を精巧に描いた鶉図は光起がもっとも得意の画題で 繊細 優美な近世やまと絵の神髄を描く。
光長・光信と併せて土佐三筆と称され、後、剃髪して常昭と号し、法眼にまで進んだ。
代表作に「秋郊鳴鶉図」「北野天神縁起絵巻」「厳島、松島図 屏風」「源氏物語図 屏風」がある。
土佐光起の作品 画風と買取価格のワンポイント
羽毛を精巧に描いた鶉図は土佐光起がもっとも得意とした画題で高価買取致します。
繊細優美さを旨とする、書き込みが細密な近世やまと絵の作品は、人気作品です。
土佐光起は、伝統 的な 土佐派 の 画風 に、漢画や宋の院体画も加え、繊細 優美な近世やまと絵を描く。
江戸時代の狩野探幽の画風も用い、瀟洒な作品を残しており、詫び寂を感じるやまと絵の神髄を描く。
絵画は簡単な作品から時間をかけた力作があり、また 図柄 や種類によって買取価格は変動します。
若年 の作品よりも、独自の境地を築いた晩年の 逸品 が高価買取対象です。
1617年 大阪堺に生まれる。江戸時代の土佐派を代表する絵師で、和泉国堺出身です。
本姓は藤原、幼名は藤満丸といい、父親は 土佐派 の 絵師・土佐光則です。
1634年 父光則と堺から京都へ移住。
1654年 従五位下左近衛将監に任じられ、絵所預職を奪還。
宮廷や公家(くげ)のために作画活動を行い、室町末以来衰退していた土佐派を復興した。
1681年 息子光成に宮廷絵所預の地位を譲り、常昭と号し法橋となり剃髪する
1685年 法眼に叙される。
1690年 亡くなる前年に自ら体得した画法を包み隠さず記した「本朝画法大全」を制作した。
1691年 逝去
土佐光起の作品をお持ちのお客様、お気軽にご相談ください。
掛軸 の場合は、購入された時から入っている箱(共箱)は大切な箱で、共箱には土佐光起の自筆のサインと 落款 が押されています。
共箱は、保証書も兼ねており、有る・無しで、買取価格は大きく変動します。
土佐光起の 額装 の場合は、江戸時代の人物で 共シール は、ありません。
シミや汚れがある場合でも、現状のままお持ちください。
鑑定書 の有無に関わらず、まず当店で無料の 真贋 の判断やアドバイスをさせて頂きますので、お電話でご相談ください。
一般的に絵画の 鑑定 は、美術俱楽部やそれぞれの指定された 鑑定機関 で行われており、その場合、真贋を問うだけで、約3万円~5万円かかり、有料です。
【所定鑑定人・鑑定機関】
土佐光起の場合、鑑定機関はありません。
当店では高額な作品も扱っております、一例ですがご覧ください。
お買取りさせて頂いた作品は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。
土佐光起をはじめ買取させていただいた作家の作品も数多くあります、是非ご覧ください。
当店には土佐光起の愛好家やコレクターのお客様もおられ、新しい作品の入荷をお待ちです。
土佐光起の作品をお持ちのお客様は、お気軽にご相談頂ければ適切なアドバイスをさせて頂きますので、是非お問い合わせ下さい。
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メディア紹介 MEDIA
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- 『和楽』7月号 樋口可南子さんがお店へ!!
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- NHK『美の壺』(4月24日放送)
- 『和楽』10月号
- 『Hanako 京都案内』
- 『FIGARO japon』12月号
- 『mr partner』2011年2月号
- 2009年11月 『週刊現代』2009年11月28日号
- 『Hanako WEST』4月号
- 『骨董古美術の愉しみ方』(4月16日発行)
- 『近代盆栽』9月号
- 『Hanako WEST』11月号
- 『ORANGE travel』2006年 SUMMER
- 『婦人画報』2004年9月号
- 国際交流サービス協会に2017年6月7日紹介頂きました。
- 『Grazia』6月号
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- 『Hanako WEST』4月号
- 『gli』11月号
- オレンジページムック『インテリア』No.23
- 『MORE』12月号
- 『花時間』7月号
- 『東京育ちの京都案内』麻生圭子著 文芸春秋刊
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土佐光起 略歴
江戸時代の土佐派を代表する絵師で、和泉国堺出身。本姓は藤原、幼名は藤満丸といい、父親は土佐派の 絵師・土佐光則。
光長・光信と併せて土佐三筆と称される。堺に住していたが、1634年(寛永11)父とともに京都に移住。
土佐派 は平安時代から続く 大和絵 の本流として、宮廷の絵所預を世襲してたが、武家社会が成立してからは、漢画の画法を取り入れた勇壮で力強い筆致の狩野派が支持されるようになり、室町時代の末には土佐派の嫡男・光元が戦死した事で絵所預の座を失っていた。
しかしながら、光起は 狩野派 や宋元画を学び、従来の温雅な大和絵に写生描法を取り入れ、江戸時代の土佐派の様式を確立し、これまでに 土佐派 が手掛けてこなかった題材である風俗画や草木図など取り上げ、その実力が認められ宮廷絵所預に任命され、土佐家再興を果たした。このため、「土佐派中興の祖」とも呼ばれている。1654年(承応3)宮廷絵所預となり、内裏の障壁画制作にも参加。
宮廷や公家(くげ)のために作画活動を行い、室町末以来衰退していた 土佐派 を復興した。
延宝9 (1681) 年に子の光成に家職を譲り、仏門に入って常昭、法橋と 号 し、1681年(延宝9)絵所預の地位を子の光成に譲り、1685年には、ついに法眼位にまで叙せられる。細密 な用筆と巧緻な彩色で古典的題材や花鳥を描いたが、江戸時代初期の趣向に合せ、探幽ら狩野派の画法を取入れたため、従来のやまと絵の伝統性は次第に失われ、形式化、装飾化が進んだ。
伝統 的な土佐派の 画風 に、漢画や宋の院体画の要素も取り入れて、江戸時代にふさわしい瀟洒な作品を残した。
濃厚な彩色を主体とした 伝統 的なやまと絵の 技法 だけでなく、同時代を代表する狩野探幽の、余白が多く、淡い彩色による淡白な 画風 や、中国南宋の宮廷 画家 たちが得意とした 緻密 かつ 写実的 な 花鳥画 なども得意とした。
代表作に、「秋郊鳴鶉図」「北野天神縁起絵巻」「厳島、松島図 屏風」「源氏物語図屏風」「粟穂鶉図 屏風」「本朝画法」。
土佐光起の主な出来事や作品の年表
1617年 大阪堺に生まれる。江戸時代の 土佐派 を代表する絵師で、和泉国堺出身です。
本姓は藤原、幼名は藤満丸といい、父親は土佐派の 絵師・土佐光則です。
1634年 父光則と堺から京都へ移住。
1654年 従五位下左近衛将監に任じられ、絵所預職を奪還。宮廷絵所預となり、内裏の障壁画制作にも参加。
宮廷や公家(くげ)のために作画活動を行い、室町末以来衰退していた 土佐派 を復興した。
1681年 息子光成に宮廷絵所預の地位を譲り、常昭と号し法橋となり剃髪する。
1685年 法眼に叙される。細密 な用筆と巧緻な彩色で古典的題材や花鳥を描いたが、江戸時代初期の趣向に合せ、探幽ら狩野派の画法を取入れたため、従来の 大和絵 の 伝統 性は次第に失われ、形式化、装飾化が進んだ。
1690年 亡くなる前年に自ら体得した画法を包み隠さず記した「本朝画法大全」を制作した。
1691年 逝去
濃厚な彩色を主体とした 伝統 的なやまと絵の 技法 だけでなく、同時代を代表する狩野探幽の、余白が多く、淡い彩色による淡白な 画風 や、中国南宋の宮廷 画家 たちが得意とした 緻密 かつ 写実的 な 花鳥画 なども得意とした。
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