福王寺法林 買取

福王寺法林は、幼少期に左眼を失明し、絵を描きたい不屈の精神力で戦争体験を乗り越え、独自の画風で文化勲章を受章。
日本美術院の重鎮として長年活躍し、福王寺法林は晩年のヒマラヤシリーズが高い評価を得て、このシリーズが高価買取対象です。

日本一、歴史ある京都祇園骨董街にあります。

京都は千年も続いた都です。
京都祇園骨董街の中でも当店は、歴史的保全地区に指定されています。
約80軒の古美術骨董商が軒を連ねる、
日本でもトップの祇園骨董街にある老舗の骨董店です。

京都祇園で小売販売している老舗骨董店だからこそ高価買取出来るのです。

世界各国から1日100名近くのお客様がご来店頂いております。
店頭には買取商品を常時2000点以上展示販売しており、愛好家やコレクターの方が品物の入荷をお待ちです。

買取依頼のお客様に納得して頂くことを第一と考えております。

ホームページや店頭にて販売する価格を提示して、買取りさせて頂いております。
是非、ご来店頂くか、ホームページをご覧下さい。
京都祇園で昭和56年に開業、長年の信頼と実績があります。

京都美術倶楽部大阪美術倶楽部鴨東古美術会京都古書組合東京古書組合に加盟しております。

福王寺法林の作品ー査定・買取ポイントのアドバイス

福王寺法林(ふくおうじ ほうりん)・特徴と技法

福王寺法林買取

朝富士

1920年(大正9)~2012年(平成24)91才没。

山形県米沢市の上杉藩槍術師範の家系に生まれます。
1926年、6歳のときに左眼を父親との狩猟の折に不慮の事故で失明。
16歳の時に上京、なかなか絵が売れず、貧困な生活を送る。
21歳の時に戦争に召集され、人生の岐路にあって失明のハンデも苦にせず不屈の精神で帰国する。絵を描くことを心のよりどころとして生還しています。
1949年、29歳のときに、第34回 日本美術院 展覧会で「山村風景」が初入選を果たします。
その後は、田中青坪に 師事 し、院展 の中心作家として活躍しました。
大観賞、白寿賞、奨励賞、大観賞、等、日本美術院 で毎年のように受賞
1961年、奥村土牛が法林に預けた門下生と、法林門下生により組織された 画塾 濤林会を結成。
1971年には、代表作「山腹の石仏」が内閣総理大臣賞を 受賞 しています。
1974年、晩年は幼い頃からの夢であったヒマラヤへの取材旅行を始め、これ以降、ヒマラヤを扱った作品を多く描きました。
雄大な自然を描くのを得意とし、ヒマラヤの壮大な自然を描いたヒマラヤシリーズが高い評価を得ました。
1984年にはのちに代表作となる「ヒマラヤの花」で 日本芸術院賞受賞、1998年 文化功労者 を受賞、2004年 文化勲章 を受章しています。重厚な中にも素朴な趣きのある 作風 で知られています。
福王寺法林 の代表的な作品「北の海」「島灯」「ヒマラヤ連峰」「ヒマラヤの花」。

福王寺法林の作品  画風と買取価格のワンポイント

福王寺法林買取

初なぎさ

福王寺法林の作品では、1974年以降から晩年のヒマラヤシリーズが人気で、高価買取させて頂きます。風景や富士山の図も人気ですが、出品作品や受賞作品は特別高価買取させて頂きます。

絵画は簡単な作品から時間をかけた力作があり、また 図柄 や種類によって買取価格は変動します。若年 の作品よりも、独自の境地を築いた晩年名品 が高価買取対象です。

 

 
1920年、山形県米沢市に生まれる。
1928年、8歳で狩野派の画家上村廣成に絵の手ほどきを受ける。
1936年、画家 を志して上京。
1941年、召集を受け中国戦線に配属、1945年香港で捕虜となって1946年復員。
1949年、第34回 日本美術院 展に「山村風景」が初入選。
同郷の美術評論家今泉篤男と出会い、以後その指導を受けることとなる。
1957年、第42回院展「朴の木」が 日本美術院 次賞・大観賞 受賞
1959年、第44回院展「岩の石仏」奨励賞・白寿賞、受賞
1961年、奥村土牛が法林に預けた門下生と、法林門下生により組織された 画塾 濤林会を結成。
1971年、第56回「山腹の石仏」で内閣総理大臣賞を 受賞
1974年、ネパール、ヒマラヤを旅行し、ライフワークとなるヒマラヤシリーズに着手、ヘリコプターや飛行機による取材を重ね、鳥瞰の視点によるスペクタクルな風景作品を発表し続けた。
1974年、前年の第61回 院展「ヒマラヤ連峰」により芸術選奨文部大臣賞を受 賞。
1984年、前年の第68回院展「ヒマラヤの花」により日本芸術院賞を受賞
1991年、日本美術院 理事に選任。
1994年、日本芸術院会員となる。
1998年、文化功労者
2004年、文化勲章 受章。
2012年、死去、享年91。
 

 

福王寺法林の作品をお持ちのお客様、お気軽にご相談ください。

掛軸 の場合は、購入された時から入っている箱(共箱)は大切な箱で、共箱には福王寺法林の自筆のサインと 落款 が押されています。
共箱は、保証書も兼ねており、有る・無しで、買取価格は大きく変動します。
額装 の場合は、共シール が大切な評価基準になります。
共シールとは、一般的に、名刺大で、作品の裏側に貼られており、福王寺法林の直筆のサインと題名が書かれ、落款が押されています。

シミや汚れがある場合でも、現状のままお持ちください。

鑑定書 の有無に関わらず、まず当店で無料の 真贋 の判断やアドバイスをさせて頂きますので、お電話でご相談ください。
一般的に絵画の 鑑定 は、美術俱楽部やそれぞれの指定された 鑑定機関 で行われており、その場合、真贋を問うだけで、約3万円~5万円かかり、有料です。

【所定鑑定人・鑑定機関

福王寺法林の場合、鑑定機関はありません。

当店では高額な作品も扱っております、一例ですがご覧ください。
お買取りさせて頂いた作品は価格を表示してホームページや店頭で販売しています。

福王寺法林をはじめ買取させていただいた作家の作品も数多くあります、是非ご覧ください。

当店には福王寺法林の愛好家やコレクターのお客様もおられ、新しい作品の入荷をお待ちです。
福王寺法林の作品をお持ちのお客様は、お気軽にご相談頂ければ適切なアドバイスをさせて頂きますので、是非お問い合わせ下さい。

古美術やかたの店内写真

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買取は古美術やかたへ!老舗骨董店ならではの6つの技

 

福王寺法林 略歴

福王寺法林買取

寒月富士

山形県の生まれで、本名は福王寺雄一。
8人兄弟の長男として生まれ、唯一の男の子であった。
幼少期から県道や空手など武道をたしなみ人一倍負けず嫌いなところがあり、小学一年生の時に、父と猟に行った際、銃の暴発で左目の視力を失う。
画家 を志し16歳で上京するが、なかなか絵が売れず、貧困な生活を送る。
21歳の時に戦争に召集され、中国配線では壮絶な経験をするも戦争から生還、戦争を生き残り、画家として生きるための決意する。
1946年9月、26歳の時に復員し、山形県米沢市に帰る。
2年後、結婚し、妻の愛子と絶え間ない努力を続け、次々と新作を世に送り出した。
1949年、第34回 日本美術院 展覧会で「山村風景」が初入選を果たす。
翌年、「朴青葉」を同展に出品、この絵は「朴の木を包み込む水分を含んだ空気感を描いた」と語っている。
はじめ狩野派画家 上村広成に学んだが、1951年、日本美術院同人の田中青坪に 師事 した。
1953年、33歳の時に東京三鷹市に転居。
1955年、「朝」という作品を出品し、第40回院展で 奨励賞、白寿賞を 受賞
その後も「かりん」「朴に木」「落葉」「麦」「岩の石仏」「北の海」と次々と院展で受賞、有名になり、個展も開催した。
身近なものに密着したモチーフを描いたいた 作風 から、ヘリコプターなどを使った空中からの 構図 等、絵のモチーフが少しずつ変わってくる。
1971年、第56回 院展 に出品した「山腹の石仏」は内閣総理大臣賞を受賞。
1974年、ネパール、ヒマラヤに取材旅行に出かけ、第59回院展に、ヒマラヤを題材とした作品「ヒマラヤ」を出品し、以降、ヒマラヤを描き続け「ヒマラヤシリーズ」など雄大な自然を描くのを得意とした。
ヒマラヤの壮大な自然に取材したヒマラヤシリーズは、大きな評価を得ている。
1977年、作品「ヒマラヤ連峰」で、第27回芸術選奨文部大臣賞を受賞する。
1984年、作品「ヒマラヤの花」で日本芸術院賞を受賞する。
1994年日本芸術院会員し、1997年 勲三等 瑞宝章受章、1998年文化功労者顕彰受賞。
2004年 文化勲章 受章、2004年米沢市 名誉市民 顕彰受賞、2005年山形県名誉県民顕彰 受賞
2012年2月21日、心不全のため死去、享年91歳、叙従三位。
院展 の中心作家として活躍した 日本画 家で、風景を得意とし、重厚な中にも素朴な趣きのある 作風 で知られる。
代表作品に「山腹の石仏」「ヒマラヤの花」など。

福王寺法林の主な出来事や作品の年表

1920年、山形県米沢市に生まれる。本名雄一。生家は上杉藩の槍術師範の家系。
1926年、6歳の時、父親との狩猟の折に不慮の事故で左目を失明。
1928年、8歳で狩野派画家 上村廣成に絵の手ほどきを受ける。
1936年、画家を志して上京。
1941年、召集を受け中国戦線に配属、1945年香港で捕虜となって1946年復員。
1949年、第34回 日本美術院 展に「山村風景」が初入選。同郷の美術評論家今泉篤男と出会い、以後その指導を受けることとなる。
1951年、日本美術院同人の田中青坪に 師事
1955年、第40回院展「朝」が 奨励賞・白寿賞となる。
1956年、第41回 院展「かりん」が入選。
1957年、第42回院展「朴の木」が日本美術院次賞・大観賞 受賞
1958年、第43回院展「麦」が佳作・白寿賞受賞。
1959年、第44回 院展「岩の石仏」奨励賞・白寿賞、受賞
1960年、第45回院展「北の海」が日本美術院賞・大観賞を 受賞
1961年、奥村土牛が法林に預けた門下生と、法林門下生により組織された 画塾 濤林会を結成。
1965年、第50回 院展 出品作「島灯」で第1回山種美術財団賞。
1971年、第56回「山腹の石仏」で内閣総理大臣賞を受賞。
1974年、晩年はネパール、ヒマラヤを旅行し、ライフワークとなるヒマラヤシリーズに着手、ヘリコプターや飛行機による取材を重ね、鳥瞰の視点によるスペクタクルな風景作品を発表し続けた。
1974年、前年の第61回院展「ヒマラヤ連峰」により芸術選奨文部大臣賞を受賞
1984年、前年の第68回院展「ヒマラヤの花」により日本芸術院賞を受賞。
1991年、日本美術院 理事 に選任。
1994年、日本芸術院会員となる。
1998年、文化功労者
2004年、文化勲章 受章。
2012年、死去、享年91。

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中国美術の昔の玉で出来た湯冷ましを茶道具出張買取依頼を頂き、お譲り頂きました。

写真が13枚あります。くわしくはこちら 中国 骨董品 の湯冷ましで、時代は清朝時代の作品だと思われます。可愛いモチーフで、丁寧に彫られた昔の 職人技 が光る湯冷ましで、色味 も素晴らしい 逸品 で買取ました。採光の加減で白く光っておりますが、ご覧のように 保存状態 の良い品物で、傷んでいるところはありません。ご覧のように細部まで丁寧に作られており、非常に出来の良い作品で高価買取させて頂きました。この作品は、競り市やオークションで買い受けた作品ではありません。直接お客様より入荷した、うぶ荷と呼ばれる貴重な蔵出しの作品で、現状のまま販売しております。 湯冷ましについて少し説明します。 お茶に使用する湯を冷ますための茶器で、湯の温度を効率良く下げるため底より口の方が大きく作られています。日本独特のお茶である玉露は60℃前後が適温ですが、ティーポットややかんで沸かしたてのお湯は熱いので、美味しくお茶を頂くのに方法として湯冷ましが作られました。湯冷ましは日本独特のお茶の玉露を最高の状態で美味しく飲む道具として作られ、日本が考えた独自の茶道具です。

 

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